堀川恵子著「教誨師」(講談社文庫)を読む | 世日クラブじょーほー局

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 渡邉普相(1931~2012)。浄土真宗の寺の住職を務める傍ら、50年もの長きにわたり、東京拘置所の教誨師を務めた。本書は、著者である堀川氏が、生前の渡邉から直接聞き取った内容と渡邉が現役時代に記した「教誨日誌」をもとに構成されている。

 「教誨師」とは、本書によれば、「死刑囚たちと唯一、自由に面会することを許された民間人。間近に処刑される運命を背負った死刑囚と対話を重ね、最後はその死刑執行の現場にも立ち会う役回り」であり、その使命たる「教誨」とは「収容者を訓し導き、善にたちかえらせること」(広辞苑)だそうだ。なおかつ一銭の報酬もないボランティアで、仏教のみならず各宗派が存在しており、死刑囚は教誨を受けるも受けないも、どの宗派を選ぶかも自由だ。

 死刑制度に根ざした立場の故に、渡邉もマスコミからの取材攻勢に晒されてきたようだが、一切応じて来なかったらしい。堀川氏は渡邉が居住する三田の當光寺まで、1年以上通いつめ、渡邉の死後、世に問うという約束を交わして取材が始まったそうだ。そのとき渡邉はカニューレを鼻から挿入され、闘病中だったのだ。

 序章の最後に、堀川氏は、数多の死刑囚を見送ってきた渡邉の言葉が、「いずれ必ず自らの『死』に向き合うことになる私たちひとりひとりに投げかけられた問いへと重なっていく」として、「『死刑』とは、一体何なのか―」と問いかける。

 本書では、8名ほどの死刑囚の渡邊とのやりとりや執行の瞬間が描写されている。それぞれ生々しく、ときに可哀想でもあり、ときにウーンと唸らざるを得ない。特に印象的だったのが、「東京で大事件を起こして、あの女(母親)を一生、困らせてやる」と強盗殺人に及んだ男だ。彼は執行の直前、「大粒の涙がポロポロポロポロこぼれ」、「渡邉にすがりつくようにして(こう)叫んだ」。「あの時、お袋に捨てられさえしなければ、私はこんなことにならなかった!お袋は私を捨てた、捨てたんです!」。そして「お母さん、お母さん!」と、「声にならない声で、届くあてもない名を叫び続け」た…。どんなに恨み骨髄でも、最後は、後生だからとばかりに、母の愛を欲した。

 渡邉は「母を怨んだまま死なせてはならぬと何年も教誨に臨んできた」というのだが、その無念たるや想像を絶する。今現在、どんなに社会的地位が高かろうが、どんなに容姿端麗だろうが、学歴が立派だろうが、両親、ことに母親から愛されてこなかった以上に、悲惨なことがあろうか。これは人格形成に不可欠な要素であって、のちの人間関係を通じた社会生活に多大の影響を及ぼすだろう。この体験の欠損を後々補うことは困難を極める。

 

 人は誰しも、「おギャー」と生まれたとき、一点の淀みの無い清らかな瞳、愛くるしく眩しい笑顔、そして母親の乳を貪ることと眠ることしか知らない無垢な存在だ。生まれながらの悪人などいようはずもない。しかし、それがどんなおぞましいボタンの掛け違いから人生は狂ってしまうのか。

 

 ある死刑囚は、「肉親の愛にふれることなく、出逢いに恵まれることなく、誰ひとり彼を諫めたり止める者もなく、行き着くところまで行ってしまったような人生」「大切な『たったひとり』に恵まれなかった」とある。その帰結が「死刑」とは…、絞首台の露と消えることだとは、あまりに無残である。ただ、だから最大限に情状酌量すべきだとして、死刑は回避すべきという論には当方は与しない。同じ境遇を耐えている者、耐えてきた者が数多存在するのも事実であり、それは彼らに対する冒とくというものだから。なお、極刑によらずしては、報われない被害者遺族もいる。冤罪問題は深刻だが、ここで絡めて論じるべきではない。

 

 堀川氏は「人生の決定的な瞬間に自分の内にある善と悪、柔と剛、どちらが、どのくらい、どう出るか、そして塀の中に落ちるか外に留まるかは、本当に僅かな運、不運の差だ。暴走を止めることができるのは、愛された記憶、そして愛する者の存在でしかない」と説く。

 

 当方には両親がまだ健在で、なんとかして親孝行をせねばと未だ思う中だ。これまでも孝行ならぬ孝行はしてきたつもりではあるが、まだまだ足りない。ただ、ふと思うのだ。親孝行したいという思いを授けてくれたのも親なのだと。まかり間違えば、親を怨んでしまうという事態もあり得たかもしれない。しかしこうして、親を大事に思い、感謝することができている、これこそ最大の親の恩であると。渡邉氏は次男坊として生まれ、母親に”小坊さん”と呼ばれて粗末な扱いを受けてきたことを怨んでいたが、中学の時、広島で被爆し、ひどい火傷を負って戻ってきたわが息子を、週に何度もリヤカーに乗せて、山向こうの病院へと運んでくれた母だったのであり、そして何十年も後に、その母親が息子の無事を信じ、指折り数えて7日も待っていてくれたことを知ったというのだ。渡邉が教誨師となった原動力は、ここにあったはずだ。

 さて、わが国は「死刑制度」を維持しているが、当然、その刑に処される者、そしてその執行を行う者が存在する。今なお、その現場は凄惨を極める。これは本書に詳しい。ただ本来、国民サイドにその決意と覚悟が必要だ。だが渡邉は、「実際の執行現場のことになると、人々はまるで自分には無関係とばかりに考えることを放棄してしまう」と憤り、堀川氏も「刑を決める人たちは、執行の現場で何が起きているのか何も知らない。市民の裁判官は言うまでもなく、プロの裁判官も弁護士も然り、執行された事実ですらニュースで報道されて初めて知る程度」だと嘆く。

 

 見たくないものは見ない、臭い物には蓋を、の典型ではないのか。これでは無責任の誹りを免れない。堀川氏は旧約聖書を引き、古代ユダヤ社会で行われていた「石打ちの刑」は、その判決に加わった者から順に石を投げなければならなかったとして、「自分たちが下した罰に対する責任と痛みを共有した」と紹介している。OECDの中で死刑制度を維持するのは、米韓と我が国の3国だけだそうで、なおかつ「絞首刑」を続けるのは先進国では日本だけ。その決断の重みを知る上でも国民意識の醸成は不可欠かつ急務だ。

 本書は、個人情報や守秘義務など難しい問題もあり、あるいは下手をすれば、のぞき見趣味に流れる恐れなしとしない際どいテーマでもある。幾多の壁を乗り越え、渡邉が語ることがなければ決して知り得ない内容であったろうし、それを引き出してくれた堀川氏にも感謝だ。ちりばめられた言葉はいずれも胸に深く突き刺さる。かつまた堀川氏の筆致は圧倒的だ。「人間はみな死刑囚だ。皆いつかは死ぬ」(渡邉)のだ。自らの人生を考えるよすがとしたい。