長尾和弘著「ひとりも、死なせへん」(ブックマン社)を読む | 世日クラブじょーほー局

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ひとりも、死なせへん ~コロナ禍と闘う尼崎の町医者、551日の壮絶日記

 

 本書は、長尾氏自信のブログ「Dr.和の町医者日記」の2020年1月31日から2021年8月4日までにアップされた記事を加筆・修正してまとめたもの。長尾医師の存在は、鳥集徹著「コロナ自粛の大罪」(宝島社新書)の中で紹介されていたので知ったくらいだったが、これまで結構メディアにも露出し、斯界では有名人らしい。長尾氏を主演にしたドキュメンタリー映画も制作され、今年公開されてもいる。

 

 ただ、メディアにしょっちゅう出演となると、本業はいったいどうなってるのかと訝り、その発言には眉に唾つけて聞いておいた方がいいと思ってしまう。だが、長尾氏は本書で自らそのことにも触れている。「デイリー新潮」に掲載された長尾氏のインタビューに多数のコメントが寄せられたそうで、その中で、「本当にいい医者はマスコミに出ない」というものがあったようだ。それに対して長尾氏は、「僕は嘘が大嫌い。『本当に良い医師』ではありませんよ。『悪医』だからこそマスコミに出るのです」と答えている。これだけでも好感が持てる人物だと感じたのだが、自らを「けったいな町医者」などと半分自嘲気味に呼ぶのは照れ隠しか。

 

 その「けったいさ」を型づくったのは、長尾氏の意外な経歴と医者としての原体験だろう。長尾氏は、高校時代に父親がうつ病が原因で自殺。母子家庭となり高校卒業後は自動車会社に就職し、生産ラインで働いた。しかし、一念発起して医学部に入学。入学式の日から「無医地区研究会」に入り、長野県下の地方の無医村で家庭訪問をしてきたという。40年前も今も医療は「こちらから赴く」のが当たり前と語るが、病院では往診は禁じられていたそう。長尾氏が医者になって10年目に「家に帰りたい」と言って飛び降りた末期がんの患者がいたといい、僕が殺してしまったと吐露している(責任を感じるの意)。

 

 長尾氏のコロナに対する先見の明は、本書の解説で、鳥集氏も述べているが、2020年の2月にはコロナを指定感染症の2類から5類に下げることを提言していること。季節性インフルエンザ並みの5類相当に落とし開業医が関われるようにして、早期発見早期治療で、PCRを待たずにCTでコロナ肺炎を発見し、酸素、ステロイド、イベルメクチンなど最大限使える武器を使えば、重症化する人を減らし、病床が空かずに待機中の陽性患者、特に高齢者、基礎疾患のある人などが容体が急変して死に至る状況を防げるとして20年6月までには治療にあたってきた。ただこれは医師法に問われる問題を孕む可能性があるらしい。

 

 2021年2月現在、長尾クリニックでは、0歳から105歳まで600人ほどを24時間365日体制で診ているのだそう。といってもフル稼働なのは長尾氏のみで、その他は通常勤務。そして末期がんの人は100%看取っているという。ある末期がん患者のエピソードが印象深い。その患者が在宅での緩和ケアに切り替えて、長尾氏がまずしたことは、高カロリー点滴中止、インスリン中止、酸素も中止。家族からは訝られたそうだが、翌日から別人のように元気に笑顔で話をして、食事もバンバン食べて、車いすで散歩もできるようになったと。やがてお看取りとなったが、その直後、小一時間ほどその人の人生の軌跡をご家族に振り返ってもらったと。「現実は映画よりももっと感動的です」などと語る。

 

 長尾クリニックは開業から26年目で、今ではスタッフが総勢で100名になるという。長尾氏は今年、63歳。本書で毎日コンビニ弁当が続くなどと書いている。昼夜問わない往診が原因だが、不摂生なやもめ暮らしが浮かぶ。自身の生前葬をすでに二度も終えている。自分は鬱だとも漏らす。どういう理由でこの歳で独身(?多分)なのか不明(こんな生活じゃ相手にも呆れられるだろうが)。コロナ患者に対し、「自分が関わった限りは絶対に死なせない。置かれた場所で咲いてやる」と語る長尾医師は、「医は仁術」を体現する人物として最大の賛辞で称えられるべきはずだが、一抹の悲哀が漂う。いつまでもこんな生活が続くわけではない。引退も間近だろう。今からでも遅くない、余生を共に送る伴侶をぜひ得て欲しいと願う。

 

 長尾氏の言説に対して、ひとつだけ苦言を呈したい。氏は東京オリパラ直前まで、その開催に「狂気以外の何ものでもない」と反対し、政府を攻め立てた。むろん、世論も反対意見が多かったが、それこそメディアの煽りが大きかったろう。菅首相としてもリスクは承知だったが、国際公約を果たす意味でも、選手の努力を無駄にしないためにも、苦渋の決断で、無観客、バブル方式など最大限のリスク低減を図った。結果、大規模なクラスターなど発生せず、日本は過去最多の金27個はじめ計58のメダルを獲得。パラでも過去2番目に多いメダル獲得数となった。世界的なコロナ禍にあって、列島および全世界に希望と感動を与え、参加選手らは口々に「開催してくれてありがとう」、海外の関係者からは「日本だからできた」との称賛の声が鳴りやまなかった。結果オーライかもしれないが、もしやらなかった場合を想像してみたらいい。これに対する長尾氏の釈明がまだないことは唯一残念だ。

 

 それはともかく、長尾医師を通して、今一度、日本の医療、そしてコロナについて問い直したい。