松浦大悟著「LGBTの不都合な真実」(秀和システム)を読む | 世日クラブじょーほー局

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LGBTの不都合な真実 活動家の言葉を100%妄信するマスコミ報道は公共的か

 

 著者の松浦氏は元参議院議員(2007~2013、民主党所属)で、LGBT当事者(ゲイ)を公言している。そして政治的立場は保守だという。本書のオビに「左翼運動の変形としてのLGBT運動では社会変革はできません」とあるように、われわれが普段、メディアや政治において目や耳にするLGBT運動を、「左翼運動の変形」と断ずる点では遠慮会釈ないが、氏が目指すのもつまるところ、「社会変革」であることには変わりない。それは具体的に何かと言えば、憲法改正による同性婚の導入である。

 

 松浦氏の正直さ、屈託のなさは呆れるほど。あけすけで手の内を隠そうともしない。LGBTの実態、特に、本人と同じゲイに関する本書の記述は赤裸々で、これまた遠慮がない。同性婚を目指す彼にとって、これらネガティブ情報は、その実現に、俄然不利に働くだろうと素人目には思えてならないが、どこ吹く風。

 

 2018年、自民党の衆議院議員杉田水脈氏が「新潮45」8月号に寄稿した「『LGBT』支援の度が過ぎる」の論稿で、特にLGBTに対して、「生産性がない」の表現を巡り、炎上。これに懲りたかと思いきや、さにあらず。同誌10月号は、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」の特集を掲載。その中で文芸評論家の小川榮太郎氏が物した寄稿文はトーン全体がキツめの上、とりわけ、痴漢とLGBTを同列に置いたととられかねない表現によって、さらにド炎上し、結局、同誌は自爆するようなかたちで実質上、廃刊の憂き目とあいなった。二人の論稿は当人が意図しないにも関わらず、誤読と尾ひれが付いて、人格を貶めるレッテル張りに使われ、ついには35年の歴史を持つ掲載誌を廃刊にまで追い込んだのだ。

 

 ことほど左様に、LGBT政治運動は「友/敵図式でただただ攻撃」(松浦氏)するスタイルなのに対し、松浦氏の信条は「対話」することなのだという。先述の小川氏にその対話を持ち掛け、保守系雑誌での対談まで実現させ、「松浦さんとは議論できる」と言わしめたそう。ただ杉田氏にも対話を打診したが、彼女からは返信はなかったようだが。さらに驚くのは、「LGBTには大変厳しい論調で知られ」る統一教会(現・家庭連合)の学生組織「UNITE」のツイッターで、松浦氏にお話しを伺いたい旨の投稿があり、さっそく連絡を取って少人数の集会でもいいので呼んで下さいとお願いしたそう。その動機は、「宗教上の理由から(LGBTを)どうしても認められないという親を持ってしまった子ども」たちに「声を届けたい」との思いからだったという。結局、これは先方からの断りの連絡によって立ち消えになったようだが、松浦氏のバイタリティーというか使命感には、コワモテの活動家以上の圧を感じてしまう。それはまるで、ガンジーが非暴力主義で相手からこん棒で叩かれ、殴れても笑いながら前進していくような。彼は暴力団事務所にだって躊躇なく飛び込んでいきそうな勢いだ。逆に怖いよ。

 

 それはそうと、松浦氏は自身が目指す同性婚について、「野党の国会議員やLGBT活動家は問題を矮小化し、『同性婚が施行されてもあなたの生活には一切影響ない』」というが、そんなことはないとあっさり全否定し、保守派の耳目を引きつけるべく、皇統にかかわる問題提起をしている。

 

 「Y染色体(注※男性だけが引き継ぐ染色体で、初代神武天皇の血筋を受け継ぐ正当性の科学的根拠)中心主義で考えた場合、これを保持している男系ゲイ天皇が一般男性と結婚し、第三者の女性に卵子を提供してもらい、代理出産によって皇太子をもうけることに異議を唱えることは難しいでしょう。なぜなら息子である皇太子にもY染色体はしっかりと受け継がれているからです。また、男系トランス女性(元男)天皇であっても、なおかつレズビアンであれば、一般女性と同性結婚することは可能です。男系トランス女性天皇が生殖機能を摘出していなければ、自分の精子を使って体外受精で皇太子をもうけることも出来ます。その際もY染色体は皇太子に継承されるので何ら問題ありません

 

 これなど、とくに保守派が慎重にならざるを得ないような情報をあえてあっけなく出して来るあたりが怖い。

 

 ただ、本書ですっぽりと抜け落ちている論点がある。同性愛が先天的でないという研究結果だ。吉源平他5名の教授の共著による『同性愛は生まれつきか?―同性愛の誘発要因に関する科学的研究』には、「1990年代初めに同性愛は生まれつきであるという、意図的に歪曲された科学論文があふれ、同性愛を擁護する学者と団体の意のままに、同性愛を遺伝的、先天的なものと誤解するようになったが、10年後にその間違いが明らかになった」としてその研究成果をまとめている(5月27日付、世界日報ビューポイント「拙速慎むべきLGBT理解増進法案」高橋史朗)。

 

 また八木秀次麗澤大学教授も、6月19日の世日クラブ講演会で、同書の記述から、同性愛の原因について、「実は環境要因説が有力とされている。同性愛者は異性愛者よりも幼いとき、性的または身体的な虐待を受けた事例が1・6~4倍程度大きい。幼児期の虐待と同性愛者には肯定的な相関関係が明らかに存在しているという研究結果がある。 また、同性愛者と両性愛者は、異性愛者よりも幼年期の家族生活で困難を経験しているというデータもある。例えば、家族の精神病、薬物依存、拘置所収監、父母の別居、離婚などをより多く経験するという分析結果で、十分な愛を受けることができずに育った子供から同性愛指向が生じる」と紹介している。

 

 本書では、男性同士の同性結婚をした太悟さんとタイガさんが感動的に紹介されているが、タイガさんは小さい頃、親が離婚を繰り返し、家族を実感することがなかったと。一方の太悟さんもアルコール依存症だった父と兄を若くして病気で亡くしていると正直に書いてある。彼らが同性愛になったのは紛う方なく、自分の「家庭」に問題があったからで、それがなければ異性愛者だったはず。前掲書の指摘をモロ地で行っている。要は同性愛者となってしまったのは不幸の結果である。その不幸の原因を処置せずに、そのまま認める形の結婚が本当に彼らにとって幸福なことなのか。問題の根源は「家庭」であり、ここをテコ入れするべきで、自民党が掲げる「こども庁」設置法案にしても「家庭」は諸悪の根源で、そこをすっ飛ばして、直接「子供」に手当すべきという、エンゲルスばりの発想が盛り込まれているのは警戒を要する。

 

 松浦氏は、太悟さんとタイガさんの結婚を受けて、結婚についてこう解釈を述べている。「かけがえのない日常を守りたい気持ち。何気ない日々の暮らしそのものが奇跡なのだという感覚。ガラス細工のように壊れやすいからこそ、大事に育てていかなければならない関係性。その延長線上にあるのが結婚」だと。ナニここだけセンチなんだよ。はっきり言って、これを国の結婚制度に持ち込まれては困る。婚姻に対する民法学の通説は、八木教授の講演からの孫引きとなるが、「婚姻は伝統的に生殖と子の養育を目的とするものであった」「民法は生物学的な婚姻障害をいくつか設けている。そこには前提として、婚姻は『子供を産み・育てる』ためのものだという観念があると思われる」(大村敦志著『家族法[第3版]』有斐閣)だ。

 

 これも孫引きだが、長崎大学准教授の池谷和子氏によれば、「夫婦が社会から承認された制度の中でのみ性的行為をし、責任を持って子どもを産み育てることで、子どもは誰が自分の本当の両親かを知ることができ、血のつながった両親に育ててもらえるからである。それゆえ、基本的には一夫一婦制や貞操義務が夫婦としての当然の前提とされ、そのことが子ども達の健全な育成を助け、そこに婚姻制度の意義があると考えられてきた。婚姻制度は、社会の秩序を確保する最適な方法ともなっていると言える」という。なお、言うまでもなく、男・男、女・女の性関係は生物学的に成り立たず、自然の摂理に反している。これらと今現在の婚姻制度を同列に置く同性婚の合法化は認めるべきでない。公民権運動やフェミニズム、同和運動などとはまったく次元の違う話しだ。それと意図しなくとも価値相対主義の極致だろう。

 

 ともかくも本書は、圧倒的な情報量と歯に衣着せない筆致によって、LGBT問題の新たな視点を浮かび上がらせた点において、その労は多とするところだ。松浦氏の実直さ、まじめさもジンジン伝わってくる。ただ、その情報そのものがかなりエグいし、かつ猛り狂いたい内容も。完読することだけでもしんどかった。同性婚を認めることはこれらの事案を全て認めることではないのか。単なる人権問題を超えて、一般人には相当な拒否反応があると思われる。がそれらを堂々と示しておいて、松浦氏は、LGBT、ことにGの奔放な性行動は国の制度の埒外にあるが故として、同性婚が認められればコントロールできるのだとその必要性を訴えるが、当方は疑問だ。もっとも笑顔でグイグイ対話を迫ってくる松浦氏に断固反論できる自信がない。