読売新聞の「ニッポン蘇れ」猪木武徳氏の提言に同感 | 世日クラブじょーほー局

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 読売新聞1月5日付特別面に、猪木武徳青山学院大学特任教授による「吟味し、優先順位をつけろ」とのタイトルのオピニオンがあった。「私の処方箋」というシリーズだが、この御仁を知らなかったので、最初写真を見て、榊莫山先生かと思ってしまいました。失敬。

 それはさておき、猪木氏は、現下の日本における大衆欲望社会の現状を以下のように指摘する。

「一票の格差について、地方票が重すぎるとして国政選挙の違憲・無効を訴えながら、同時に地方分権や地方活性化が大事だと主張する。世論調査で『脱原発』に賛成しながら、選挙では『経済再生』を最優先課題として投票する。両立しがたいことを同時に要求できてしまう」

のだと。そして、猪木氏はその歯止めのためには、

「まず一人ひとりが『自分は二重思考する存在だ』との自覚を持つ」ことと、「国家と個人の間にある『中間組織』を再評価し、活用していくべきだ」と説く。

 その「中間組織」の例に猪木氏は、町内会、マンション管理組合、労働組合、地方自治体などを挙げ、その役割として、「利害を調整し、やがて議論を収束させるプロセスを学習する装置」だとしているが、欧米では、「キリスト教会」に代表されよう。しかし国を問わず、最も根本的なその存在が「家庭」「家族」である。これは伝統、文化を育む源泉でもあり、健全な国家形成のためのバックボーンである。

 最後に猪木氏は19世紀のフランスの思想家トクヴィルの「民主主義の行き着く先は個人主義と物質主義」という言葉を紹介し、彼がやはり「中間組織」を重視するとともに「宗教」の重要性を説いたことに触れ、結論的に猪木氏も

「宗教の役割を見直すこと(重視する)も必要になるだろう」述べている。
 
 この猪木氏の指摘は重要で、読売新聞でもこういう議論が出てくるんだなと感心した。

 この連載は安倍新政権への提言というかたちにもなっていると思うが、第一次安倍政権の前の政権、すなわち小泉政権における郵政民営化を頂点とするいわゆる構造改革路線こそ徹底的にこの「中間組織」を破壊し尽したのではなかったか。たしかにメスを入れるべき問題が多々存在したのも事実だが、兎に角やりすぎた。

 経済に関しては、米中の好景気に支えられて表面上は、輸出主導での成長を果たした。しかし内実は、効率化や成果主義のみを優先し、規制撤廃や民営化がもてはやされた。結果として、地方や中小企業の衰弱を招き、格差問題などで国内が不安定化した。その衣鉢を継いだのが、ほかならぬ安倍政権だった。第一次安倍政権も新自由主義を信奉し、こと経済問題についていえば、いくぶん漸進主義に転じたにせよ、総じて小泉構造改革路線の継承者たらんとした。今回の第二次安倍政権が主張している経済政策(金融緩和、積極財政、成長戦略の三本の矢)について言えば妥当な線なんだろうと思うが、前回の政権時とがらりと変わったというのは、イデオロギーに固執せず、実態に即した現実路線に舵を切ったということだろうか。

 さて、以下の指摘に注目すべきだ。
 
 「西欧では国家と市民社会は適切な力関係を保っており、国家が揺れるときにこそ市民社会の揺ぎなき構造があきらかになる。(西欧における)『国家』は単なる外堀に過ぎず、その背後に堅牢堅固な要塞のごときシステムが控えている」
 
 これはイタリア共産党のグラムシの「獄中ノート」の件りで、古い正論の田中英道氏の論考「日本のメディアを支配する“隠れマルクス主義”フランクフルト学派とは」からの孫引きだが、彼はいわゆるフランクフルト学派の理論と呼応して、今でいう文化共産主義を唱えた。そしてグラムシは

「≪発達した資本主義社会では機動戦から長期間の陣地戦への移行を必然とする≫と考える。まずは市民社会の文化を下から変える必要がある。そうすれば熟した果実のごとく権力は自然と手中に落ちてくる」(引用同)

と断じた。敵は革命のために何が重要かを的確に把握し、途方もないロングスパンからの視野で、おさおさ怠りなく布石を打ってきているのだ。

 聡明な安倍氏は先刻ご承知のはずだ。へなちょこな民主党政権に3年3ヶ月にもわたって日本国家のトップの座に居座らせた元凶は、実に自民党の「美しくない国 日本」創出の数々の失政だったのだ。

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