映画「妖怪人間ベム」を観る | 世日クラブじょーほー局

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 テレビドラマの時も結構みていたし、ベロ役の福くんも好きなので観てきました。子どもの観客が多いかと思いきや、あまり見かけなかった。やはり内容が子ども向けではなくドロドロとした大人の世界の話だし、またこの作品が訴えんとするものがハイレベルだからだろう。「仮面ライダー」とか「戦隊モノ」とはちょっとわけが違う。

 最初「妖怪人間」って、マイノリティへの人権問題の陽動的な作品かなと疑っていたが、どうもそれはないようだ。むしろもっと真面目に、哲学的視点から人間存在の本質を問うものだろう。万物の霊長とされる人間にあって、その内心は善悪が葛藤する矛盾を内包し、平和や幸福や愛を希求しつつも、有史以来叶わぬ夢というシビアな現実を突きつけ、自問させるようでもある。ややもすれば悪に傾きがちな不完全極まりないこの人間社会を「人間になりたい」と願う“人間ならざる存在”がその補正のために、日夜身を粉にして闘っているというパラドックスは、実に強烈なアイロニーとなって、胸に突き刺ささってくる。

 しかしVFXの映像は格段にハリウッドに劣り、作品のモチーフもありふれたもので、もうちょっとどうにかならなかったかなと思ったのだが、ラストでは不覚にも涙があふれてしまった。周りでも同様に鼻水をすする音が広がった。

 ベラやベロは、正体がバレる度に姿をくらまさなければならないことに嫌気がさし、家族や友達を持つことに憧れる。一生歳を取らないことにも辟易している。文字通り「早く人間になりたーい」と願う。むろんベムとて人間になりたいのはやまやまなのだが…。柄本明扮する「名前のない男」(その姿は原作アニメ版のベムそっくり)が現れ、人間になるのは簡単だと言う。それは悪を取り入れること、すなわち自分(この男)と一体となることなのだと。彼らは時と場所を同じくして誕生したが、ベム、ベラ、ベロは、生まれたときから善のみを志向するようになっており、「名前のない男」は、逆に悪のみを志向する存在で、人間に潜む悪を引き出し、悪行を教唆する。「人間になる」とは姿かたちもさることながら、内面においては、善悪共存体となるというわけだ。

 ベムは「助けを求める人を見捨てたら、ただの妖怪になってしまう」と絞り出すような声のセリフを吐く。涙がほとばしったシーンだ。だから人間から“化け物”と罵られ、嘲られ、石もて追われても、彼らの善性に期待をかけ、悪と闘い続けるのだ。そんなベムに、「名前のない男」は、「どんなに抗おうが、世界は変わらないのだ」と迫る。しかしベムは、「たとえそうであっても、悪との戦いをやめるわけにはいかない」とすごむのだった。「人間になりたい」という押さえ難い欲求をその胸の内に秘めながら…。

(監督)狩山俊輔
(キャスト)
亀梨和也、杏、鈴木福、北村一輝、柄本明、中村橋之助、筒井道隆、観月ありさ、石橋杏奈、永岡佑、杉咲花、堀ちえみ、広田レオナ、あがた森魚、畠山彩奈ほか