lec176.与えていないところに不満は生まれる | カウンセリングサービス 仙台オフィシャルブログ

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カウンセリングサービス代表の平準司です。

 

あなたがその人に与えていくことで問題は解決する

子どものころの私たちは、「大人はみな完ぺきで、問題などまったくないものだ」と思っていましたよね。

 

しかし、自分が大人になり、また、親になってみたりしてわかることは、「大人といえども人間はみな不完全で、じつは問題だらけなのだ」ということです。

 

なぜ、かつて、大人は完ぺきだと思っていたかというと、子どもは親をはじめとした大人に愛してもらったり、面倒を見てもらったりしなければなりません。

 

その大人たちは完ぺきかつしっかりした人たちじゃないと困ると思うからです。

 

不完全な大人では、不完全である子どもの私を愛せるはずがないと思うんですね。


つまり、子どものころの私たちは自分たちの事情から、大人は完ぺきなものだと思ったわけです。

 

同じようなことは男女関係においても起こります。あなたが自分を不完全だと思っていると、パートナーに完ぺきであることを求めてしまうわけです。

 

そして、しばしば、パートナーに文句を言ってしまうのも、“完ぺきであってほしいパートナー”に欠点や不完全な部分を見つけたときであることが多いようです。

 

ここで思い浮かべてほしいのですが、あなたが結婚し、赤ちゃんをもったとします。

 

赤ちゃんというのはまったくもって不完全なわけですが、それはまったく問題になりませんよね。


私たちは赤ちゃんに愛してもらおうとはまったく思っていないからです。

 

親にとって赤ちゃんとは、愛してあげるべき存在で、愛してもらうことを求めるべき存在ではありません。


子育ての経験がある方なら実感があると思いますが、赤ちゃんにはあらゆる世話をしてあげる必要がありますし、夜泣きをして親を寝かせてくれないこともありますし、とにかく手がかかるわけです。

 

しかし、私たちは赤ちゃんのことを、欠点がある、不完全だなどと責めるようなことはけっしてしませんよね。

 

さて、さきほど、男女関係においてあなたがパートナーを責めるのは、パートナーに欠点や不完全な部分を見つけたときが多いと申し上げましたが、責めてしまうほんとうの原因はじつはその欠点や不完全さではありません。

 

真の原因は、パートナーに愛してもらわなければならないほど、自分自身に欠けているなにかがあるとあなた自身が思っていることなのです。

 

あなたはその欠けているなにかを自分で埋めることができず、だれかにもらわねばならないと思っています。


その役目は、自分をいちばん愛してくれるはずのパートナーにあるとあなたは思っているのですが、十分に愛してもらえていない、見殺しにされているとパートナーを怒っているようです。

 

じつをいえば、パートナーも同じようなことをあなたにしてもらいたいと思っていて、それを与えてくれないあなたのことを怒っているわけですが‥‥。

 

「だれかから、なにかをもらおう」と思っているというのは、そのものを「自分自身では自分に与えることができない」とあなたが思っていることのあらわれです。

 

自信をもつことがどうしてもできないために、だれかに自信をつけてもらいたいと思っているわけですね。

 

そんなとき、あなたの思うとおりに人から愛してもらうというのはなかなか叶わないことなのですが、まったく別の方法であなたのその思いを叶えていくことができます。

 

それは、自分と同じ問題について、自分以上に困っている人を見つけたら、あなたがその人に与えていくということです。

 

たとえば、「だれも自分のことをわかってくれない」という不満をもっているとしたら、同じような不満をもっているだれかを、あなたが承認しつづけてあげてください。

 

「あなたになんて、わかるわけない」、「わかったふりをしているだけだろう」などと言われても、何度でも承認してあげてください。


それができたとしたら、不思議なことに、あなたの不満は解消していくはずです。

 

それは、「だれも私のことを認めてくれない」と不満を言いつづけるあなたではなく、不満をもっている人の気持ちをだれよりも理解できるあなたになるということです。

 

そして、あなたのほうから人に承認を与え、それを受け入れてもらうことで、あなた自身、ずっと人からもらいたいと思っていた承認を得ることができて、人から認められないという不満が解消していくわけです。