カウンセリングサービス 仙台オフィシャルブログ

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カウンセリングサービス代表の平準司です。

 

私たちは人生でいろいろな経験をしますが、その理由は、どうも、「その経験を通じて、だれかを理解したい」ということにあるようです。

 

長い人生の中では、つらい思いや淋しい思いをすることももちろんあるものです。

 

そんなとき、多くの人は、「なんのために、こんな出来事が‥‥」という質問をぶつけてこられます。

 

はたして、その答えになっているのかどうかはわかりません。

 

しかしながら、私はいつもこう思うのです。

 

「人は、痛みを知ることで、やさしさを知り、淋しさを知ることで、自分のまわりにいる人や、その人たちとの絆の大切さを知ることができるのだ」、と。

 

そして、また、あなたの人生につらくたいへんなことが訪れたとしたら、それは、「“痛み”を“愛”に変えるというレッスンを与えられた」ということなのかもしれないともいつも感じています。

 

 

昔、カウンセリングのクライアントの一人に、おとうさんが絵に描いたようなダメ親父だったという人がいました。

 

それこそ、酒を飲んでは暴れ、おかあさんをぶん殴るようなおとうさんだったのです。

 

彼はそんな父親を憎んでいましたし、「自分は、ああはなるまい」と、お酒は飲みませんでしたし、感情的になることもけっしてありませんでした。

 

ところが、あるとき、その彼が、お酒で大失態を演じてしまったのです。

 

仕事上の酒の席で、彼はほぼ飲まずに過ごしていました。が、取引先の部長が何度も酒をすすめてきて、そのうち、酒癖も悪いのか、よくある「おれの酒が飲めねぇのか」という言い方で酒を強要してきたのです。

 

それで、仕方なく、彼もお酒を飲むハメになったわけですが、日ごろ、まったく飲んでいない彼ですから、酒に強いはずがありません。

 

酔っぱらうにつれ、自制心も弱くなってきて、ついに、このイヤミな取引先の部長に対する怒りが制限できなくなってしまいました。

 

言いたいことをぜんぶ言い、「おまえの酒なんか、飲みたかねぇよ!」と、大暴れしちゃったわけです。

 

次の日の朝、正気に返った彼は、もう、「取引先へはもちろん、自分の勤務先にも行けるわけはない」と思いました。

 

「もう、会社は辞めるしかないだろう」と思い、しかし、その前に、カウンセリングを受けにやってきたのです。

 

その彼に、「いま、どんな気分ですか?」と聞いてみました。

 

彼は、「まったくのひとりぼっちで、すべての人が自分の敵のよう」、「自分はどこまでバカなのだろうと、ただ自分を責めるばかりです」と答えてくれました。

 

そんな彼に、さらに聞きました。

 

「いま、あなたがその感情を感じることで、だれか、理解してあげられそうな人はいませんか?」。

 

彼は、こう答えました。

 

「ひょっとして、親父もこんなことを感じていたのかもしれません」。

 

おそらく、人生最悪じゃないかというこの状況下で、彼はそう気づいたのです。

 

じつは、彼のおとうさんは公務員で、いろいろな無理難題を押しつけられる立場にいました。

 

そのストレスがものすごく大きく、そのためにお酒を飲み、家で暴れていたようなのです。

 

ふだんは至極まじめなおとうさんだったので、「ひょっとして、暴れた翌朝の親父も、こんな気分だったのでは‥‥」と、彼は思いあたったわけです。

 

そして、彼の素晴らしいところは、おとうさんに電話をして、そのことを実際にたしかめたことだったでしょうか。

 

その電話が、父子の8年ぶりのコンタクトでした。

 

彼は自分に起こったことを話し、そして、「親父も、飲んで暴れたあとはこんな気分だった?」と聞いてみたところ、おとうさんは笑いながら、「何度、酒はやめると決めたかわからん。でも、また飲んでしまうんだよな」と答えてくれたそうです。

 

彼にとっては、人生で最悪の経験が、父親を理解できたという一つの意義深い経験に変わったわけです。

 

その後、彼は職場に行き、また、取引先にも行ったのですが、「この前、おまえ、すごかったよなぁ」と言われただけで、彼の恐れていたようなことは、なに一つ起こらなかったそうです。

 

例の、彼にお酒を強要した取引先の部長も、もともと酒好きということもあってか、酒の上での失態はなにも気にしないという人で、結局、なんの問題にもならなかったのです。

 

というか、今回の出来事で、関係性はむしろ親密になったほどでした。

 

もちろん、すべてがそうだとは言い切れません。

 

でも、もし、あなたの人生において、「最悪だ!」と思うような出来事があったとしたら、あなたの心の奥底に問いかけてみてください。

 

すると、これまで、気づいていなかった真実が見つかるかもしれません。

 

その経験を通じて、あなたは、だれを、なにを、理解することができるのでしょう?

カウンセリングサービス代表の平準司です。

 

クライアントさんにもいろいろな方がいらっしゃいますが、一見、とてもセクシーな女性から、「セックスが気持ち悪い」、「セックスが大嫌い」というご相談をお受けすることがあります。

 

また、とても女性らしく見える人が、じつはとても男っぽい性格の持ち主だったというようなケースもときどきあります。

 

先日も、美男美女の、ともにセクシーな雰囲気を漂わせるカップルが、じつはセックスレスで‥‥というご相談におみえになりました。

 

きょうは、このへんのお話をしていきたいと思います。

 

私たちは、おなかがペコペコの状態でレストランに入ると、メニューのすべてを食べてしまいたいというような欲求をもちます。

 

これは、欲求に関する一つの幻想です。

 

同じように、睡眠不足でフラフラの状態で3日間の休暇をもらったとしたら、3日間、ずっと寝ていたいとも思うものですよね。

 

しかし、どんなにおなかが空いていたって、料理は2~3品しか食べられないでしょうし、どんなに眠くたって、15時間も寝たら、どうしたってそれ以上は眠れなかったりするものです。

 

同様に、男性の多くは怒りをがまんするということを日常的にしています。

 

だから、もし、万が一、怒りを自分に許可してしまうと、自分は殺人者になってしまうぐらい激しく爆発してしまうのではないかと恐れています。

 

もちろん、これも幻想ですよね。

 

満たしてあげることで、私たちはその欲求から解放されるわけです。

 

逆に、禁欲的になればなるほど、欲求は大きくなるのです。

 

たとえば、宗教的な修行者は、性的な禁欲を修行の一つの目的とします。

 

 

ところが、「セックスをしてはいけない」、「セックスなんかしたくない」などと自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、考えるのはセックスのことばかりになってしまうわけです。

 

一方、若いうちから遊び回った人ほど、「セックスはもういい」とか「どんないい女としても、だれとしても、なにも変わらん」などと言って、セックスに対する欲求をあっさりと手放すことがあります。

 

では、その人は宗教的にものすごくレベルの高い人ということになるのでしょうか?

 

それは、ちょっと違いますよね。

 

たとえば、だれが見てもセクシーな女性が、「セックスは嫌い」と言っているのだとしたら、その裏側には、いつも、セックスに関するものすごい恐れが隠れています。

 

だれだって、セックスには、大なり小なり、興味をもっています。

 

それを禁欲的に押さえつければ押さえつけるほど、幻想がつくられやすくなるのです。

 

つまり、「もし、性的な自分を解放してしまったら、セックスなしでは生きられなくなってしまうのではないか?」とか、「ヘンな女王様とか、ヘンなどれいになってしまったら、どうしよう!」とかいうものです。

 

じつは、これは、性的に満足していないときの一つのパターンなのです。

 

男性もそうなのですが、欲求不満のとき、多くの男性は性的にものすごくたくさんの幻想をもちます。

 

その幻想の数といったら、アダルトコーナーに並んだタイトルぐらいたくさんあります。

 

ところが、彼女ができ、定期的にセックスする関係になると、いろいろとあった幻想もどんどん消えていくものです。

 

そして、そのいろいろな自分、ときに、それはとても変だと思うような自分のことも愛して受け入れてもらうことができたと実感したとき、性的な幻想は意味をなくすようです。

 

ご相談いただくカップルには、「あなたがひそかに思っている、へんてこな性的な幻想をパートナーと分かちあってみてください」と提案します。

 

それを、あなたの心の中にとどめておくのでなく、パートナーとコミュニケーションすることができたなら、多くの場合、その幻想は消えていくのです。

 

「セックスはタブー」というエネルギーを使うと、幻想はどんどん大きくなっていってしまいます。

 

反対に、自分の中のタブーが消え、また、そのタブーをパートナーに受け入れてもらうことができたりしたなら、タブーは愛に変わり、恐れは親密感に変わります。

 

そして、セックスは“ヘンなもの”から、“二人の絆”へと変化していくようなのです。

カウンセリングサービス代表の平準司です。

 

私は週末はほとんどセミナーや講演をしておりますので、年間にお休みになる土日は4日もあればよいほうなのですが、そのお休みの土日はほとんどすべてといっていいほど、結婚式に出席しています。

 

それは、とてもうれしい時間です。

 

うちの受講生の幸せそうな姿を、できるだけその場で見たいという思いもありますが、披露宴会場には、長いこと、二人の幸せを祈り続けた人ばかりが集まります。

 

その人たちの顔、そして、二人を祝福する姿を見るだけで、私も癒されるわけです。

 

さて、私はいつも結婚するカップルに、「結婚式を決める前に、新婚旅行のことをちゃんと決めなさいよ」とアドバイスします。

 

二人にとって、いちばん行きたい場所で、いちばん素敵な時間を過ごせるようにとおすすめしているのです。

 

気づいていらっしゃらない人も多いかもしれませんが、サラリーマンやOLをしていて、長期休暇を取れる機会というのは、日本ではほんとうに少ないのです。

 

ですから、みなさんもぜひとも、万障繰り合わせ、社長には無理を言って、休みをとり、新婚旅行には行ってください。

 

そして、一生の思い出になるような、最高にロマンスあふれる時間を二人で味わってください。

 

そして、その新婚旅行のひとときが、非日常的であればあるほど、その後の二人の結婚生活に役に立ちます。

 

 

仕事柄、私は多くのカップルがケンカをしたり、そして、それが長引き、おたがいに「自分はパートナーに愛されていない」と思い、ほんとうにつらい経験をされたりすることがあるのを知っています。

 

そんな冬の時代を劇的に癒す効果があるものの一つが、「かつて二人は、最高に愛し合った」という思い出なのです。

 

人間、ものすごくおいしい食事を経験すると、その味は、一生、記憶に残り、そして、「あのときの、あの地の、あのレストランで食べたあの味は、いまだに忘れられない! うまかった!」と一生の記憶に残るわけです。

 

同じように男女関係でも、いちばんロマンチックな時期に、ほんとうに至福といえる経験をしてもらいたいと思うわけです。

 

できることならば、国内より海外に行っていただきたい。

 

なぜなら、見ず知らずの場所、見ず知らずの人々の中で、唯一、頼れるのはおたがいだけという状況は、二人の親密感をよりいっそう強めるはずなのです。

 

また、できるなら、パッケージ・ツアーではなく、個人旅行で行っていただきたい。

 

パッケージ・ツアーはどうしても日程が忙しくなり、二人だけの時間をゆっくりと過ごすことがあまりできません。

 

であれば、二人がゆっくりと過ごせるプランを自分たちでつくったほうがよいと思うわけです。

 

さらに、できるなら、滞在型のプランにしていただきたい。

 

あちこち旅して回るツアーよりも、一つの町に滞在する旅がおすすめです。

 

ホテルでも、一度開けたトランクを開けっぱなしにして過ごせるような旅のほうが、二人はより落ち着き、より親密になれると思うのです。

 

たとえば、10日間休みがとれたとしら、いろいろ行ってみたいところもあるでしょう。

 

しかし、そのなかの、せめて4日間だけは、ゆっくりとできるような日程を組んでいただくのが理想的です。

 

ところで、離婚寸前だったご夫婦のカウンセリングが成功裏に終わりつつあるとき、ご夫婦に、「もう一度、新婚旅行のあの場所に行ってみたらどうでしょう?」とか「また新たに、新婚旅行みたいな気分で旅行に行ってみませんか?」というようなご提案をすることがよくあります。

 

日本人の夫婦は、どうも、年月を重ねるうちに、二人で旅行することがなくなってくるようです。

 

そして、奥さまはお友だちといっしょに旅行、ご主人は淋しく一人旅、という傾向が強いと聞きますが、また、ぜひ、ご夫婦で旅行することをおすすめしたいのです。

 

そして、そんなときも、二人にとってのいちばんのルーツが新婚旅行というわけです。

 

つまり、新婚旅行とは、それだけ大事な意味をもつものなのです。

 

だからこそ、結婚するみなさんには、必ず新婚旅行をするように、しかも、できるだけ素晴らしい新婚旅行をするようにと、いつも強くおすすめしているしだいなのです。

カウンセリングサービス代表の平準司です。

 

日本の男性の多くは、女性に関して人見知りといえるようです。

 

最近、草食系という言葉がよく使われますが、この言葉はほとんどの場合、男性について使われることが多く、草食系女子という言い方はまったくといっていいほど聞いたことがありません。

 

それどころか、最近の女性たちは、肉食系を越え、たとえは悪いですが、“野獣化”しているという報告も男性陣から聞くことがあるほどです。

 

雑誌一つとってみても、相も変わらず、若い女性のヌード・グラビアばかり掲載している男性誌に対し、女性誌はあの手この手でセックス特集を組んでいますから、知識面においても、女性は男性以上に性のことに詳しくなっているようです。

 

そして、その一方で、女性陣にとりのこされたかのような、大人になりきれない少年のような男性たちが、とても多数存在しています。

 

心理的には、“女性=母親”というイメージが強く、ついつい女性に依存してしまう男性が増えているわけです。

 

そのような場合、「なかのよいカップルで、まだ若いのにセックスレス」という問題がつきまとうことが、どうも、多いようです。

 

 

私たち人間は、思春期に反抗期という時期を経るものです。

 

この時期、親をすごく嫌うことにより、ずっと向けていた親への愛情を異性へと切り替えます。

 

そして、人生におけるいちばん大事な目的を、「親に愛されること」から、女性のみなさんであれば、「彼に愛されること」へと大方向転換するわけです。

 

これは、動物の世界とはだいぶ異なります。

 

たとえば、ネコであれば、親ネコは子ネコを文字通り“猫かわいがり”して育てます。

 

ところが、子ネコたちも7カ月ほどに成長すると、おしりからオスやメスのフェロモン出しはじめます。

 

親ネコはそのにおいをかいだ瞬間に、子ネコを半殺しの目に遭わせます。

 

そして、子ネコは殺されたくないがために、親ネコから離れ、自立していくのです。

 

しかし、人間の親は自分の子どもをこんなひどい目には遭わせません。

 

そのため、性的に成熟してくる中学生ぐらいになると、子どものほうから親を嫌ったり、自分を隠したりということをするようになるわけです。

 

たとえば、女性のみなさんがシャワーを浴びているとき、おとうさんがいきなり浴室に入ってきて、「おれのヒゲそり、あるかな?」などと言おうものなら、あなたは間違いなく、おとうさんを半殺し、いや、全殺しにしてしまいますよね。

 

このとき、なぜ、これがいやなのかというと、ほかでもない、「大人の体になったのを、おとうさんに見られるのがいや」なのです。

 

そう、なぜか、私たち日本人の心の中には、「なにも知らない子どものままでいるほうが、親は喜ぶ」という感覚があるようです。

 

そして、男性も女性もそうなのですが、「性的である自分」を親の前から隠すことにより、以前のままの親子関係を保ち、親を喜ばせようとするわけです。

 

そして、そんな思い込みがあるので、彼や彼女の前でも、自分が性的になることが、ものすごく悪いことのように感じてしまうこともよくあるのですね。

 

このタイプの人は、自分の心の中にあるセックスへの興味や性的な欲求を抑圧し、そして、セックスは嫌いだとか、セックスには無関心だとか、自分に暗示をかけるようなことをしてしまい、そのためにセックスレスに陥るといいうパターンが日本では多く見られます。

 

しかし、本来は、大人になったあなたが、大人らしくふるまうことが、もっとも自然といえるのです。

 

もちろんそこには、性的なことも含まれています。

 

セックスという行為は、肉体的なものとして捉えられがちですが、それは精神的な部分でも、大きな安らぎや絆をつくります。

 

それは、大人であるあなたへの、神様からのプレゼントといってもいいかもしれないのです。

 

セックスに嫌悪感や苦手意識を持っている人は少なくありません。

 

それは、じつは、セックスに対してではなく、あなたが自分の体に対してもっているコンプレックスや偏見をあらわしていることも多いようですよ。

カウンセリングサービス代表の平準司です。

 

心理学ではよく“男性性”と“女性性”という表現を使いますが、人それぞれ、その片方しかもっていないというわけではありません。

 

女性の中にも男性性はありますし、男性の中にも女性性はあるのです。

 

たとえば、女性でありながら、バリバリとものごとをこなすオトコマエな人というのはめずらしくないですよね。

 

また、男性でありながら、人あたりがやわらかく、とても繊細な人などもいるものです。

 

先日、とてもボーイッシュなタイプの女性のカウンセリングをしました。

 

彼女の兄弟は、男性ばかり3人。

 

そのなかで、彼女もまるで男の子のようにして育ったのです。

 

たとえば、いつも、スカートではなく半ズボンをはいていましたし、思春期のころの彼女の口癖は、「オイラは‥‥」というものだったといいます。

 

そんな彼女ですが、いまのご主人とめぐりあい、結婚したわけです。

 

こういう場合、よくあるパターンなのですが、ご主人のほうがどちらかというと繊細で、家事も育児も上手と、女性性を多く表現している人でした。

 

そして、彼女はというと、自分の女性性を恥ずかしがり、上手に表現できないタイプだったわけです。

 

そう、ものすごく恥ずかしがり屋さんだったために、ある意味、恥知らずといえるほど、女らしさをないがしろにし、がさつにふるまうことがあるほどだったのです。

 

とはいっても、まわりの人たちは、彼女が自分の女性性を表現するということが、どれだけ恥ずかしいかということには気づいていませんでした。

 

そして、あるとき、ご主人が彼女にこう言ったことから、大ゲンカが始まってしまいました。

 

 

「たまには、スカートをはいたらどうなんだい?」

 

それをきっかけに、彼女は私どものカウンセリングを受けるに至ったのですが、ここで彼女が向き合ったのが、「なぜ、私は“スカートをはく”ということぐらいで、こんな大ゲンカをしなければならないのか?」ということです。

 

彼女はどうやら、男ばかりの兄弟の中で、「女性としての自分を、どう表現していったらいいのか」ということを見失ったまま成長していったようでした。

 

そこで、まずは、とてもシンプルなことなのですが、こう提案してみたのです。

 

「じゃあ、一度、スカートをはいてみたら?」

 

彼女はそれに同意してくれ、さっそくスカートをはいてみたところ、ご主人やお子さんの評判は上々で、「ママ、とてもよく似合うよ」などと言ってもらえたそうです。

 

ただし、彼女自身は、「スカートをはいている自分」に対して、ものすごく自意識過剰になっていて、その気分といったら、まるで、素っ裸で町を歩いているがごとくであったといいます。

 

そして、彼女が気づいたのが、自分の女性性の部分を、自分はまったく愛していないし、評価もしていなかったという事実でした。

 

が、このスカートの一件以来、彼女は自分の女性性を少しずつ受け入れようと考えるようになったのです。

 

その結果‥‥、たとえば、それまで、セックスのときは、どちらかというとだんなさまが受け身の状態で、自分は攻める側であるほうが彼女にはラクだったといいます。

 

それが、このころから攻守交代となって、彼女は受け身に回り、そして、ものすごく感じるようになったそうなのです。

 

また、日常のささやかなことが、彼女にとっては、うれしかったり、楽しかったりするようになりはじめました。

 

それとともに、不思議なことなのですが、だんなさまがどんどん男性的になっていかれたというのです。

 

たくさんの夫婦と出会い、そして、いつも思うのですが、パートナーシップというのは二人でバランスをとっているものであるようです。

 

だから、どちらか一人が変わりはじめると、それに呼応するかのようにパートナーも変わりはじめます。

 

今回のご夫婦の場合も、少し前まで、彼女はご主人に対し、「もうっ。細かいことばかりに気づいて、男らしくない!」などとよく思っていたそうです。

 

しかし、いつのまにか、彼女のほうがいろいろなことに気づくようになり、それにつれ、ご主人は奥さまに安心して任せられるようになったのか、細かいことはあまりおっしゃらなくなったそうです。

 

こんなふうに、彼女は、彼女自身の言葉でいうと、どんどん“女性化”していきました。

 

それは、ご主人にとっては、まったく違う女性ともう一度結婚したような感覚をプレゼントされたようなものでした。

 

そして、二人の間には、またまた大きなロマンスがやってきたようなのです。

 

どうやら、あなたが少し変わるだけで、あなたの住んでいる世界はドラマチックに変化するようですよ。