今日の画像は、スイスアルプストレッキンのスナップ『標高1600mのミューレン村に到着』、北大路欣也主演の『藤沢周平原作・三屋清左衛門残日録』、奥穂のジャンダルムより厳しく、新潟魚沼の難ルート『麻莉亜の八海山トレッキング』。そして、昨夏松本の宿で出会った『大阪の大学生パーティーのスナップ』です。

 

男性3人、女性3人のパーティー。大きな鍋を持参している。どうやら、テン泊でアルプスを行脚するらしい。聞くと、松本からバスで入り、燕岳にと。それから表銀座を歩き、槍ヶ岳を制覇するのだそうだ。まさに、青春ここにあり、の若者達であた。表銀座のアップダウンの激しい縦走路を歩こうという発想は、やはり若者でなければ躊躇するトレイルであるからなあ。女性でも荷物は20kgはありそうだったなあ。でも立派だったねえ、この6人は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      <さあ、今日は湘南相手のサンフレだ!>

 

■■『松江はおそらく生きる気持の張りを失っておることでしょう。これに正気を取りもどさせ、当屋敷にもどすこと。ただしこれには半月ほど猶予が必要でしょうか。今ひとつは、村川助之丞を即刻国元に帰すことでござろう』

『そのようなことが出来ますか』

『それがしには出来んと思われますかな』

 

滝野はまじまじと清左衛門を見た。そうしているうちにやがて、滝野の顔に年少の弟を見るように親しみ深い笑いがうかんだ。いいえと滝野は首を振った。

『そなたならお出来になるでしょうよ。よしなに頼みいりますよ、三屋さま』

 

――あのときは・・・。

ちょっと気負いすぎていたのだて、と今の清左衛門は思っている。きれいに処理して意地悪そうなばあさんにひと泡吹かしてやれと思ったのだ。若くもあったと清左衛門は思う。その時は36だったのである。

 

滝野の頼みを引きうけた日、清左衛門は屋敷の中の事務をひとつ片づけてから、同僚にことわって外に出た。そしてまっすぐに本石町の呉服屋に行った。松江の様子は予想したようなものだった。清左衛門を見ると床に起き上がって挨拶をしたものの、眼は清左衛門を通り越してえべつのものを見ているようで、清左衛門が試みた2、3の質問にもまったく答えなかった。

 

松江は骨細な身体つきで、齢ハ17と聞いていたのに額に少女の面影を残している娘だった。そして首に巻いた白布が、よけいに少女めいた印象を強めていたが、その印象と一切の表情を失ったような白い顔がどこかでしっくりとつながっているようなのを、清左衛門はいささか無気味な思いで眺めたのだった。

 

数日、清左衛門は本石町の呉服屋に松江の様子を見に通ったが、変化は見えず、松江はひとこともしゃべらなかった。顔は表情を忘れたままで、身体は痩せ、はじめに会った時よりもむしろぐあいがわるくなっているのではないかと心配されるほどだった。店の者の話によると、松江はほとんど物を喰べていないのである。あっという間に10日が過ぎた。

 

■■<米を目指す移民 死のジャングル③ 『中国人も増えた』>南北アメリカを1本の道路で結ぶパンアメリカン・ハイウェー。北はアラスカから米国本土などを通って南はチリやアルゼンチンまで、全長20万キロに及ぶ道路だ。

 

そのハイウェーが途切れるのが、中米パナマと南米コロンビアとの国境近くにある『死のジャングル』、ダリエン地峡だ。北を目指す移民達が、命懸けでこの地峡を越えて行く。パナマのパンアメリカン・ハイウェーから脇道に入ったところに、サンンビセン避難所がある。昨年9月下旬に訪ねると、地峡を抜けた大勢の移民が体を休めていた。

 

南米出身の母語であるはずのスペイン語がほとんど聞こえてこない。聞こえるのはアラビア語、ヒンディー語、そして中国語のようだ。

 

アジア人の風貌の人達に声をかけた。40代という男性は中国福建省の農村部出身。地元では稼ぎがほとんどないため、米国に向かおうと決めたという。それ以上は詳細を語ろうとしなかった。

 

ダリエン地峡を抜けた中国の移民にはスペイン語や英語を話さない人が多いようだ。避難所の職員によると、自身の境遇を話したがらない人が多く、翻訳アプリを使った聞き取りにもほとんど応じないという。

 

避難所で働く関係者は『中国人は毎日10人ほど来る。家や車を全て売り払って南米に密航し、米国を目指しているようだ。もちろん裕福ではないが、ベネズエラ人の移民などに比べるとお金はある』と話す。ユニセフによると、昨年ダリエン地峡を通過した人は40万人を突破。その多くを占める南米出身者は、地峡を通ると、パナマのバホチキートに集まっていた。(軽部理人筆)

 

■■<『鉄と時代のダイナミズム』足かけ60年・上>2022年11月に日本商工会議所の会頭を退任し、足かけ60年に及ぶビジネス人生にピリオドを打った。太平洋戦争が始まる前の1940年に前橋で生まれ、大学進学で上京し、富士製鉄の門を叩いたのが東京五輪の前年の1963年。当時はそれほど意識したわけではないが、今から思えば『鉄は国家なり』という言葉が強烈な輝きを放っていた時代だった。

 

それから幾星霜。懐かしい富士製鉄は数次の業界再編を経て、今では日本製鉄に名を変えた。入社時には日本国内だけで9社を数えた高炉メーカーが今では3社に集約されたのも、滔々たる時代の流れを感じる。

 

ちなみに製鉄所の中核設備である高炉は、その名が示すように、天空にそびえる高さ100mにも及ぶ巨大な炉で、鉄の街のランドマーク的な存在でもある。

 

1980年代半ばの鉄鋼不況の際は、新日本製鉄はその高炉を一気に5基閉鎖する苦渋の決断を下した。中間管理職として大合理化に深く関与した私にとっても、人生の忘れられない1ページである。

 

なぜ鉄鋼産業は他に例を見ないほどの激しい再編集約や合理化を迫られたのか。その背景に経営者のどんな思いがあり、働く人や地域がどう受け止めたのかは、追々詳述したい。

 

鉄をめぐるドラマは今なお進行中だ。2023年の暮れには、日本製鉄が米USスチールを2兆円の巨額を投じて買収するというビッグニュースが発表された。

 

OBの私が会社の経営に口を出すことは厳に慎むべきだが、橋本英二会長以下の現役経営陣の勇気ある決断にエールを送りたい。いろいろ課題はあるだろうが、再編集約の波が世界に広がる中で、日本の鉄鋼産業はさらに飛躍できると信じている。(三村明夫元日本製鉄会長・社長筆)

 

■■<J2徳島ヴォルティスに続く衝撃…『MF西谷和希の契約解除』> 現在30歳の西谷は2016年に栃木SCでプロデビュー。20年に徳島へ移籍をすると主力として活躍。今季はリーグ戦2試合の出場で、第3節のブラウブリッツ秋田線(1-2)からベンチ外が続いていた。

 

徳島はここまで1勝2分4敗で20位に沈んでいる。昨夏から指揮を執っている吉田達磨監督が3月31日に解任され、4月1日に今季から加入し、開幕から全7試合に出場していたMF島川俊郎が33歳で電撃引退を発表。柏アカデミー時代からの恩師でもある吉田監督が成績不振で解任されていた最中で突然の一報となった。

 

衝撃が続く徳島。西谷の契約解除発表には『感謝しかありません』『西谷和希のサッカー人生が幸せであって欲しい』『個サポとして引退するまで応援します』との反響があったほか、他クラブのサポーターからは『争奪戦の始まり』『全力で確保して欲しい』と、獲得を願う声もあった。

 

◆い一体何が徳島に起きているのだろうかなあ。徳島のスポンサーはあのお金持ちのポカリスエットの大塚製薬なのだがなあ。一時J1に昇格したが、すぐに消えてしまった。あの、松本山雅がJ1から一気にJ3まで陥落したのに似た経歴だ。どうして、このような結果になるのかねえ。関係者の奮起と団結が足りないのだろうなあ。サンフレなんて、そんなに優秀な人材がいるわけでもないが、それでもユースなどには多くの代表を送り出す、育成型のクラブに成長しているのになあ。かわいそうだねえ、徳島ヴォルティス。

 

■■<プロ野球、3試合同時観戦>プロ野球が始まった。観戦はもっぱらテレビなれど、一昨年まではDAZNを併用していた。ドコモ提携の特別価格で1,900円程度の格安メニューがあって。ところが、昨年視聴料を4,200円と大幅にアップした。画像の品質がまだまだ未熟なせいに、料金だけ引き上げてと、反発して、昨年はDAZNは視聴しなかった。

 

ところが、今年2月下旬、DMMというネットが月末までに申し込めば『年間月2,980円』という特別価格でDMMの番組とDAZNの番組がみれるメニューを出した。しかも解約は自由だと。なら、野球もサッカーもみれれば、この料金は安いと早速加入。

 

テレビ中継があるときには、テレビで中継を、タブレット2台で他のセ・リーグ2試合を視聴できる。なんとも便利な世の中にはなったもんだねえ。たしかに、サッカーと野球全試合が視聴できて、2,980円は安い。