こんにちは、亜希ですハート





ずっとずっと、私は

自分ではない誰かを目指してきました




細くて綺麗な人を見ては

痩せなければ、と思い


センスのいい人を見ては

私はダメなんだ、と思う



行動力のある人を見ては

自分がどんくさく思えて


話が上手い人を見ては

何でうまく話せないんだろうと落ち込む




自分にないものを持つ人を見ては


自分はダメなんだ

何でうまくできないんだろう


そんな思いが自分のなかで渦巻いていました




周りと比較してたどり着くのは

自分を責める気持ちと否定する言葉


ダメな自分もうまくできない自分も

それを感じて落ち込む自分も


全然、好きになれませんでした




周りと比較して一喜一憂しながら

誰かと違うところ劣るところを見つけては

自分にダメ出しをする


生きづらくて当たり前ですね




でも、当時はどうして

自分がこんなに生きづらいのか

さっぱりわからなかったのです



生きづらさの種は自分の中にありました




私の場合は

「できる人でいなければならない」

という思い込みが強すぎたのです




「できる人でいなければならない」

と思っているということは


自分自身は

「自分はできない人」だと信じている



人は意識のなかで信じているとおりに

現実を見ています




だから、目の前の誰かと比べては


「やっぱり私はできない」出来事に

私には見えるのです



言い方を変えると

「私はできない人」だと確認するために

できている誰かと比較をしてしまうのですね




子どもの頃からずっとそうだったので

私には自信が育ちませんでした



だから、何でも頑張って

周りにできる人だと思われたかったし


自信がないから、誰かから

「すごいね」と褒めてもらわないと

自分を保てなかったのです




ですが、外側から自信を補填したところで

そもそも内側にないので


いつまでも自己肯定感は育たなくて

ずっと欠乏したままなのです




自分が自分をブスだと思うのに

誰かに可愛いと言われても


からかわれている?とか

何か下心があるのかな?とか


そんなふうに思えないのと同じことです




では、どうしたらいいのか?


「できる人でいなければならない」

を崩していきます




できても、できなくても本当はよかったのに

どこかでそう思うことがあったのです




自分のことになると

「できないのはいや」と思う方も


お子さんや誰かことになると

「できてもできなくてもいい」

と思えたりします




絶対に「できる人でいなければならない」

と思っている《絶対》の部分を緩めていきます


絶対にサイドAしかないと思う出来事にも

必ずサイドBがあります



同じ出来事でも


10人いれば10通りの捉え方があって

10通りの話が出来上がっているからです






その人によって

生きづらさの元になる種は違います


わかってもらえない

認めもらえない

評価されない

頼ってはいけない

我慢しなければならない

役に立たなければならない…



自分が自分をダメだと責めて

否定するルールに気付いて緩めていく




そうすると

自分の内側から責める声が減って



気がついたら


こんな自分も悪くないかもしれない

と自分自身の見方が変わっていきます




誰かになりたい

消えてしまいたい


そんな声もなくなっていきます




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※名前を《せり》から変更しました