こんにちは、亜希です![]()
車を運転していたら、何度か子どもと遊びに行った公園の横を通り過ぎました
その時に二分咲きくらいの桜と、親子連れが目に入って
「つらかったよな〜」と思いました
同居していたときの私は
晴れたら出かけなければ、と思っていました
天気がいいのだから、子どもを公園に連れて行かないと
今は当時を冷静に分析できていますが
無意識に
「晴れたら外遊びさせるもの、連れて行くもの」と思い込んでいたので
それ以外の選択肢は浮かばないし
それ以外を選ぶとしたら、ものすごく罪悪感を感じたと思います
なぜなら、その思い込みの大元には
子どものために、母親なのだから、誰かのために役に立つべき、自分が頑張るもの
そうしない自分は、周りに受け入れられない
嫌われる、生きていけない、人間失格
それくらい強いメンタルブロックがありました
そうなると、勝手に、自動的に、周りのために動く言動一択になってしまって
本当は疲れていて休みたい、今日はそんな気分じゃなかったとしても
自分の思いも無意識にスルーされるし
本当に周りが《私の思う誰かのために》を望んでいるか、それ自体も怪しくて
夫も休みたかったかもしれないし
子どもも別に外に行かなくてもよかったかもしれない
それなのに、それ以外を選べないから、すごく限られた範囲のなかで
〇〇すべき、〇〇をやるもの、に振り回されていました
そうなればなるほど、自分の思いを無視していくことになるので
「私ばっかり」が積み上がっていきました
夫婦関係がうまくいくはずがなかったですね
もっと自分の気持ちを聞いてよかったし
自分の気持ちを聞こうと思えたら、夫の気持ちを聞こうとも思えたのです
あのときは
夫は協力的ではなくて、分かってくれなくて「私ばっかり」にしか見えなかったけど
今の私から見れば
夫はジタバタする私を、尊重して見守っていただけなのです
夫から、桜の写真とともに
「〇〇(土地名)の桜は、三分咲きくらいかな」とラインが来ました
一見、桜の写真を送ってきただけのように見えるそのラインは
数日前に私が「一緒に桜を見に行きたい」と話したからで
夫が「いつなら一緒に行けるか」を考えてくれていた証拠のようなもので
そんな思いやりも
受け取る側が気づかなければ、全然違う出来事になります
私が「一緒に桜を見たいね」と素直に言うだけで、見に行くことを考えてくれて
写真も送ってくれて、「今度行こう」と計画してくれる
私は、まっすぐに望むだけでよかったのです

自分で自分の人生をとても難しくしていましたが
誰かのために、誰かのせいで、を前提にしていたら、気づくことはありませんでした
とてもとても頑張っていたのです
でも、報われない頑張り方をしていました
あなた様はどうでしょうか
もっと自分を大切にしてみたいと思えたなら、その時から始められます
ありがとうございます![]()
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※名前を《せり》から変更しました

