やっと夏が終わって、ひんやりとした空気が抜けるようになって、
気分も少し風通しが良くなったように感じます。

だからという訳ではありませんが、5月以来久しぶりの更新です。

先日、誕生日をむかえ、気持ちも新たに、といったところでしょうか。


相変わらずでもあり、変化に富んでいるとも言える今年の夏は、
長く、重い、しかし熱い季節でした。

行動範囲が狭く、あまり多くの人に会いたがらないわたしは
夏は特に苦手で、まるで暗い穴蔵の突き当たりに座り込むみたいにして
太陽が沈むのを待つ日々を送ります。

でも、今年はいつもよりは遠くまで足をのばし、沢山の友人達と会いました。

それは単純に、自分専用の暗い穴蔵を不意に失ってしまったから、
逃げ出すように家を出て行くしなかっただけなのですが、
結果的には、愛おしく思える時間を多く過ごすことが出来ました。



そんな風に、新しい環境に少し慣れたつもりでいるわたしの心身は
情けない悲鳴をあげているようです。

いつもならそれには耳を貸さずに、身体中の「痛み」を
生きている実感として受け入れてしまうのを、
今回はそのひとつひとつに、関心を持ってみようと考えています。

「痛み」を取り除くということに力を注いでみようということです。


幼い頃から、「受け入れる」とか「慣れる」のが
癖になっている性質があるのだと思いますが、
それはやっぱり弱い自分から「逃げている」ことになるので、
穴蔵の突き当たりから外に這い出して、立って歩くべく!

まずは、ちゃんと整形外科に通い、必要ならばリハビリを・・・。

最近仕事で知り合った方に「脚の不自由な人」と認識されていた程
偏った歩き方をしているようなので。

頸椎のヘルニアとか、腰椎の変形とかが、
たいがいの原因なのですが最近は、あれこれ調べた結果、
「加齢です」とタイトル付けされることが多く、
可笑しくて、力が抜けます。

しかし、不眠や偏頭痛との関連もありそうなので、
まじめに「加齢」と向き合いましょう。


気に入りの場所や生き方を見つけて、「このまま変わらず」
と思っていても、そうは行かないことが起きたりする。
その都度、自分らしくしなやかに受け入れているつもりでいても、
身体や精神に、なにかしらの緊張や圧力がかかっているものです。

これからも、そんな自分の弱さを認め、強さに憧れていこうと思う、
37歳になって5日目の私です。

きっと、身体の歪みを少し修理してまっすぐ歩けるようになれば、
まいにちの日々も、まっすぐ先へのびていく、
そんな気がするのです。






連休は、ヒマになるだろうと思っていたので
ゆっくりブログでも書いている予定でしたが
意外に盛りだくさんになりまして
PCの電源さえ入れませんでした。
(かと言ってつぶやいたりする習慣もないもので)


4畳半の和室をフローリングにしようと考え、
一人で四苦八苦しながらウッドカーペットを設置したり。

実家に行って片付けものをしていたら
学生時代の彼からもらった熱烈なラブレーターが出て来たり。

用賀の家に友達を5、6人呼んで、わいわいしていたら
偶然に、そして珍しく、時々来るアイツが合流してきたり。

最近ヘアメイクのAちゃんに教えてもらった
お気に入りの伊勢佐木町のタイ料理屋に行ったり。

Aちゃんの紹介で友達になった鎌倉在住のTちゃんの家に
生シラスを頂きに行って、お帰りマンゴーを教わったり。

やはりAちゃんの勧めで多肉植物を見に栽培農家まで行ったら
案の定わたしの好みのタイプであり、めでたくデビューしたり。


これからひとつひとつ、ゆっくりと記事にいて行こうと思います。


あっと言う間にフリーランスの生活パターンに戻り、ストレスもなくなり、
今日はいっそ仕事場に行くのをやめてしまおうかと迷いましたが、
気の小さいわたしには出来ませんでした。

さあ、この仕事場をいち早く去る事が出来るように頑張ろう
という気持ちで、改めて胸の前で拳を握るのです。








「せな」のまいにちと、これまでのこと。

懐かしのコーヒーガム。
仕事場でおじちゃんがくれました。

美味しかったけれど、すぐに味がなくなってしまいました。

味が長持ちするという、最近のガムに慣れてしまったからでしょうか。


昔付き合っていた人に、久しぶりに会ったりすると、
懐かしくて、たのしかったりするけれど
意外とすぐに飽きてしまって、「あれ、こんな味の無い男だったかしら」
となってしまうものです。

大人になって、少し遊びも覚えて、少し恋愛もわかってきて
味のある良い男に慣れてしまったからでしょうか。



昨日は、素敵なおじさまと2回目のデートでした。

ずっと噛んでいても味がなくならないコーヒーガムのような、
そんなひと時でした。





「せな」のまいにちと、これまでのこと。-nakamesakura


川沿いの桜を見たいという母方の祖母を連れて、父と3人で
満開の目黒川へ行ってきました。

祖母は、ちょうど満開の時に来たのが初めてだったようで
「わぁ、すごい!ほんとに綺麗だこと!」
と、たいそう喜んでいました。

これから先、何回見られるかわからない歳になって来たので
人混みで歩くのも大変でしたが、連れて来て良かったと思いました。


その後、仕事終わりの母も合流して、
家族で寿司を食べに行きました。

わたしが子供だった頃、祖母に
「大人になったら、自分で稼いだお金で
 おばあちゃまを京都旅行に連れて行く」
と約束した事を、急に思い出しました。

わたしまだ、その約束は果たせていません。

「しまった!」と、強い後悔の気持ちが胸を刺しました。
今の祖母の体力では、もう無理かも知れません。


幼稚園に入る前から両親が共働きだったわたしは
日中はずっと祖父母の家に預けられ、
当時まだ40代半ばだった祖母に育てられたので、
祖母には、娘のような気持ちで接しているところがあります。


そんな祖母の義理の兄である伯父さまが、今朝早くに亡くなりました。

祖母は、次は自分の番だという寂しさや恐怖を感じたと思います。

それでも、下町出身、江戸っ子の祖母はきっと
精一杯姿勢を正し、気丈に通夜や告別式に臨むのでしょう。


近いうちにもう一度、祖母お得意の「東京大空襲の話」を聞いておこう。

防空壕に行く前に、どうしても便所に行きたくなった話。

疎開先で、真っ白なおにぎりを食べた話。

祖父が朝鮮人をかくまって逮捕されそうになった話。

近いうちにもう一度、聞いておこうと思います。


そんな戦争のさなかにも、桜は咲いたか、聞いてみよう。



そして今年の秋に、
祖母を、紅葉の京都に連れて行けたら良いと思います。













もう二度と来ることはないと思っていた、
会うことすらなくなるのではないかと思っていた、
時々やってくるアイツが、なんと用賀へやって来ました。

酔ってもいなければ、深夜でもありません。

「6時くらいに三件茶屋で仕事が終わりそうだから」

夕方早めにそんなメールが来て、
先に用賀へ行って、わたしの仕事が終わるのを待っている
と言うのです。

別に珍しくもなんともない至って普通のやり取りですが、
彼にとっては滅多に無いことで、驚きました。
何だか全てが上の空になりながら早々に仕事を切り上げ、
用賀へと急ぎました。

駅の階段を上がって行くと、「おかえりー」と手を振っていました。

「ただいま」と返しながらも、
わたしはアイツを幻でも見るような目で見ていたのでしょう。
幽霊でないことを確かめるように、彼の腹をぺたぺたと触るわたしに

「ホントは昨日死んでて、
 成仏する前におまえに会っておこう、とかじゃないぞ」

と大笑いしながら、良い街だねと歩き出しました。

一度家に帰って、夕方のニュースを見ながら少しイチャつき、
財布と煙草と携帯だけポケットに入れて家を出ると、
手をつないで近所の焼肉店へ。
「食ったねー」と言い、帰って来てコーヒーをいれ、
ごろごろしてテレビを見る彼とおしゃべりしながら、
片付け物をしたり、風呂を沸かしたり・・・
交代で風呂に入り、部屋を暗くして二人でベッドに入り
アイスクリームを半分こしながら「ぷっすま」の江頭2:50に大爆笑。

服を脱がされ、激しく求め合う頃に、
ようやく時計は深夜1時を回りました。

次の朝、商店街に次々と搬入のトラックが入って来る音に
さすがの彼も目を覚まし、もう一度裸になって身体を交わし、
昼過ぎの新幹線に乗れれば良いという彼に
コーヒーと簡単な朝食を用意しました。

朝の光の窓際で、煙草を吸いながらパソコンに向かう彼の横顔の、
穏やかな表情が印象的で、「これが見納め」という覚悟をする
精神的防御反応を感じながら、慌ただしくメイクと着替えを済ませると、
「いってらっしゃーい!」と見送られ、先に家を出ました。


まるで、普通の恋人たちのように過ごした夜と、朝のひと時。


可笑しい違和感の中でも、ほっと安心出来るような、
これが最後になる、そんな寂しさもある、複雑な気持ち。

やっぱり幻だったのかも知れない、それならそれで良い。

そう思いながら帰宅すると、指示した場所に鍵が置いてあり
玄関を入ると、スリッパがきちっと揃えて脱いであり、
灰皿にはセブンスターの吸い殻が山になっていました。
シンクにはマグカップが二つ・・・

ベッドにはかすかに彼の匂いが残っていました。







時々やって来るアイツの、過去のお話

酔ったアイツの言うこと

腐れ縁でも縁は縁

シラフのあいつのやさしいキス

アイツが来た!

アイツが来たしるし