キリキリという音が聞こえてきそうな、

磨り減った生活が嘘のように、

淡々とした穏やかな日々に変わった。


もちろん、万事が素晴らしくうまくいっている訳ではないが、

少なくとも、日々の生活は波がおさまっている状態だ。



杉並へ引っ越して、そろそろ2ヶ月になる。


マーケットと薬局、商店が少しある、こじんまりとした駅。


小さなワンルームだが、一番奥の角部屋で、

窓を開けると、湿った植物の匂いがする。


片方の窓からは、しゃれた建築の白い壁と

三角の空がひとかけら。


もう片方の窓からは、古い団地。

午後には西から木漏れ陽がゆらりゆらり。



夜は、静かだ。


朝も、静かだ。


昼も、だいたい静かだ。


時折、近くの学校から、

青春の声が風に乗って聞こえてくる。


あまり家具がそろっていないせいもあるが、

わたしは、なんだかままごとみたいにしてそこに棲んでいる。


毎朝カーテンを開け、コーヒーをいれ、果物をかじる。


花を生けて、まめに掃除をする。



たいがいは独りでいるけれど、

週に一度か二度、背の高い髭のおじさんがやってきて、

風呂に入り、ビールを開け、音楽をかける。


買ってきた惣菜や、わたしの作った雑煮や肉豆腐を食べ、

長い手足を投げ出して、床にゴロゴロと寝転ぶ。


「君は東京の人なのに、味付けが田舎風だ」と笑うが、

美味いと言ってたいらげる。


わたしがすっかり台所を片付けて、

お茶をいれ、ろうそくに灯をともす頃には

程よく酔って、表情が随分とやわらかくなっている。


わたしは、この顔を見るのが好きだ。


そして、彼がのそりと差し伸べた腕と、ゆれる光に誘われて、

草いろのシーツを敷いたせんべい布団の上で服をぬぎ、

優しくて悲しい悲鳴をあげる。



そそくさと身支度をして、足早に扉の向こうに消えていくのを、

特に寂しいとは思わないのが、不思議。


乱れた化粧を落として、身体を洗い流すと、

またいつもの独りにもどって、野菜ジュースを飲んだりする。



とにかく、そんな日々だ。


もうすぐ冬がくるから、何年か前に麻痺をおこした顔の左側に、

冷たい風があたらないようにしなければならない。


年が明けるまでには、

部屋に飾るつもりの、クレーの「撰ばれた場所」を探さなければ。



そういえば、ヤモリの姿を見かけなくなったな。



みんな、それぞれに冬支度。






ごうごうと
まわりのものたちを殴っていた嵐はようやく、
先ほどはすまなかった、という感じに、
まだ少しふてくされた涼しい風に変わりました。

団地の大きな葡萄の木はさすがに寛大で、
ざわざわとその和解の提案を受け入れたみたい。

仲直りを見届けて
胸をなでおろした虫たちも唄いだして、
うえは清んだ藍色の星空に
穴明けパンチであけたみたいな、まるい月。

わたしはなるべくみんなの邪魔をしないように、
散歩しよう。


居どころを変え、歳をひとつとり、
嵐も過ぎ、新しい月が始まった。

痛みが少し和らいで、
右足を引きずらないで歩いていることに気がつき、
さっきから涙と鼻水が止まらないのだ。

嬉しいと思った。

これから先、良い事がたくさん起こるような感じ。

純度のたかい涼しい風が、からだをあらっていく。

空を飛ぶ夢を見ているときに似た雰囲気。

地面を蹴ったら、
びゅーんとブドウの木のてっぺんまで
行けそうな気がした。
 
しかし、

台風一過の真夜中、
閑静な住宅街を
すすり泣きがら歩く大きな女。

職質されないように、
久我山の新しい都市伝説に
登録されないようにしなければ。

ブラックコーヒー

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ブラックコーヒーを好んで飲むようになったのは、

ここ一年ほどだ。



それに、幼い頃から「たけのこの里」派だっだけれど、

最近はめっきり「きのこの山」派だ。



わたしもずいぶんと大人になったものだ。




最近、何年も引きずっていたわだかまりが少し解けて、

ひとまわり年上の寅年の兄さんが戻ってきてくれた。


全てが元どおりという訳にはいかないかも知れないが、

また以前のように、ダラダラと愚痴を聞いてもらったり、

情けない恋愛相談が出来るようになることは、とても助かる。




情けない恋愛相談・・・・




そう、早くも「今度は大丈夫」は、崩れ去ろうとしている。


それは、ある瞬間にコツンと音をたてるように

わたしの心の中に落ちてきた。

「まただ」と。


けれど大人になったわたしは、泣いたりはしなかった。

こみ上げてきたものは、ほとんど爽やかと言っても良い、

「笑い」だった。


わたしが、優しく穏やかな恋愛などに満足するはずがなく、

もの静かでバランスの取れた男などに惚れるはずがなかった。

大人にはなってはきたけれど、老いてはいないということがわかった、

喜びから笑ったのだと思う。




心に闇を抱えて、底なし沼にはまった、

いや、心に闇があると思い込み、

底なし沼であってくれと思いながら、

せいぜい膝下くらいの黒い水溜りに

足を突っ込んだ彼のうしろ姿。


ネガティブでナルシストで頑固。

そのうえプライドも高い。


そんな彼の正体を、繁華街のかび臭い小部屋の

薄明かりの下で見てしまったのだ。



彼を非難しているのではない。




「このひと、あたしとおんなじだ」




会話がかみ合わないことも多く、

それほど気が合うわけでもないのに、

わたしにしては珍しく、

居心地がよく躊躇せずあけすけになれるのは、

なるほどそういうことだったのかも知れないと、納得する。


だけど、笑ってばかりもいられない。

これをこじらすとどうなるか、わたしは体験している。


眠りが訪れなくなり、街と人々が恐怖となり、

処方箋をにぎりしめて、うっかり死にかけたりする。

運よく見つけてもらって、死なずにすんだわたしは、

今はブラックコーヒーと「たけのこの里」を楽しめているが。


けれど、わたしは自由で弱虫だったから、

そんなドラマティックな日々に酔いしれることが許されたが、

彼には、守るべき家族や、社会的責任がある。


本当はそれらにも、さほど特別な意味はない。


たかが家族、されど家族。

たかが仕事、されど仕事。


彼は、ほとんどの男性がそうであるように、

その両方を愛しているし、自分の存在の拠りどころとしてる。


それに、わたしより10年ほど長く生きていて、

わたしよりずっと強いから、

洗っても洗っても取れないヌルヌルを

我慢してちゃんと日々を送っている。


だから、きっと大丈夫だろう。


それでも、心配で、怖くて、腹が立って、愛おしくて、

いびつな尊敬と軽蔑の入り混じったもどかしさの中で、

精一杯茶化して見せたが、

それは、いかがわしい色の毒きのこを食わせて、

かえって支離滅裂な靄の中へ送り出すようになってしまった。



いまは、驕ったその言動を反省している。

わたしも、それなりにうろたえたのだろう。




昨日は一睡もしていないので、

わたしの言葉もだいぶキマッてしまっているが、

まあ、それほど仰々しいことでもない。



彼の正体を見て、彼が白状するのを聞いて、

いまいち釈然としなかった、モザイク処理が消えて、

自分が何と向き合っているかが明確になり、

少し安堵していることも事実だ。




いまは、「かごめ、かごめ」を唄いながら、

彼が目を開けて立上り、こちらを振り向くのを待っている。

そうすると約束したから、バカみたいに待っていることにした。



その時が来たら、ひとまずニヤリと笑ってキスをして、服を脱ごう。

裸になって、ひとつの肉の塊になってしまえば、それで良い。





しかし、コーヒーを飲むと、おしっこがたくさん出る。



彼がベッドで「君の放尿が見たい」と言ったことがあった。



彼に薦められた、園子温監督の「恋の罪」のラストシーンを観て、

このことを思い出してのことだったのかしらと、思った。



このごろ、よく話題にしているけれど、ふいに新しい恋人ができた。


10歳年上で背が高く、目元に苦労のしるしが優しく刻まれ、

不便なくらい口数の少ないひと。


わたしを子供扱いでからかい、ぎこちなく情熱的なひと。


穏やかに見えるが決して温厚とはいえないひと。


わたしが、社会への希望と反骨心むき出しの

幼い若者だったころを知っているひと。


およそ15年ぶりに唐突に再会したその人は、

ほとんどいきなり、なんの駆け引きもなく、

わたしを抱き寄せようとした。

わたしも、自分でも驚くほど易々と、

広げられた腕の中へ入っていった。


15年前に出会ったときすでに、

こうなることが決められていたような、

とても自然なことのように感じた。




な~~んつって、というわけで、

まったく凝りもせず、本当にまた凝りもせずに、

「今度は大丈夫」などとお馴染みの台詞を吐いて、

妄想と勘違いが渦巻く、恋愛の旅に出てしまったのだ。


だからといってわたしの性格上、浮かれたりはしゃいだり、

ということはないけれど、
生活の中に、「彼との時間」というのが出来て意外に、

素直に甘えられて、精神的に安定している気がする。

ま、いまのところは。



そんなわたしに最近、

恋愛の神々からトラップが仕掛けられている。



半年以上会っていない、連絡も途絶えつつあった

時々来るアイツから、ここのところよく電話がかかってくる。

「新しい男できた?もう俺のこと待ってないの?」

泥酔状態とはいえ、相変わらず勘の良いやつ。



約10年近く不倫劇を繰り広げたあの人の親友N氏に

昨日、家の最寄りの駅でばったり会った。

当時、月9ドラマの「主人公の親友役」みたいに

毎回登場して、あるときはわたしたちを助け、

あるときは面倒を起こす、すてきな男だ。


N氏が近所に越してきていることは知っていたが

いままで一度も会うことはなかった。

しかし、このタイミング。なるほどと唸るしかない。


少しの近況報告と昔話に、なつかしい気持ちになった。


あのひとは元気でやっているらしい。



そして今日、むかし何度か関係を持ったある男性から、

数年ぶりにメールが送られて来た。

「元気にしているか?顔が見たい、飲みに行こう」と。

彼に関しては、何も心が動かないのが可笑しいが。



とても偶然とは思えない、ここ数日の出来事。


さあ、どうなるか、楽しみだ。

何もかも受けて立とうじゃないか。



いまのわたしが大切にしているのは、

わたしのことを「きみ」と呼ぶひと。


いつ手元から離れて、ひとり置き去りにされるか

ちっとも定かではなく、

未来だって、霧が立ち込めて何も見えない。


それでも間違いなく今は、彼との関係がわたしに

ちゃんと幸福と苦悩をもたらしている。


これほどまでに、ビビットにそう言い切れることは

わたしにとって珍しい。

それをしばらく楽しもう。











この春は、また、いろいろなことが動き始め、変わり始めた。

なかなか意外な展開が待ち受けているようだ。



雨女の連休は、低気圧のおかげで、頭痛と腰痛の毎日。


日本中の皆さま、雨ばかりですみませんでした。


と、自意識過剰になることを気に入っている。



そんなわたしの連休は・・・・



雨の匂いのなか、二人で出かけ、

いつも目を伏せて考えごとの彼から、

大好きなクレーの絵に、谷川俊太郎の詩がついた

素敵で悲しい絵本をもらった。


大切なものがまたひとつ増えた。

大切なものが増えるのは怖い。



「せな」のまいにちと、これまでのこと。


「あやつり人形劇場」


あやつられていることをしっているから

きみはそんなにふざけるのだ


いとはたるみ

いとははり

いとはもつれ


あやつるわたしのゆびさきへと

いとをつたっておくられてくる

きみのいのち


あやつられていることをしっているから

きみはよるそんなにもふかくねむる



「せな」のまいにちと、これまでのこと。

これがいちばん好き。




やっと晴れた連休最後の2日間は、植物の手入れを。


家の周りの草をむしり、大きくなってきたユーカリの木に支柱を、

ドドナエアの根元にセダムを植え、

ワイヤープランツがからまるようにアンティークのフェンスを立て、

多肉植物の植え替えや、寄せ植えも・・・・・


腰痛は悪化したが、満たされた時間。



引越しのときにガレージに置いたダンボール箱を寝床にしている

3匹のノラ猫のうちの1匹は、最近、具合が悪そうだ。

一日のほとんどを、ダンボールの上でぐったり寝ていて、

いつも姿を見せる夜中には、どこかへ消えている。


近所のおばちゃんの話だと、だいぶ年寄りだそうなので、

もうすぐ死ぬのかもしれない。


この2日間、わたしが土いじりをしている間も

ずっとわたしのことを目で追いながら、

浅い息で横になっていた。


休憩の一服をしながら、

「別に、死ぬならここで死んでもいいけど?」

と声をかけると

「ふん」と鼻をならして、目をつぶってしまった。


ノラ猫としての生き様やプライドがあるよね。

すまん。いらないことを言った。



しかし、

自分がネコと話をしながら植物を育てるようになるなんて、

再び新しく、恋愛みたいなこと始めるなんて、

思っても見なかった。


今まで、なんと生意気なことを考え、

わかったようなことを語ってきたのだろう。


歳を重ねるにつれ、素直に、無邪気になっていくようだ。



ネコはそんなことは全部知っていて、もうすぐ死ぬ。

でも、わたしはまだ知らないことばかりなので、もっと生きよう。




「同じ月を見よう」

とメッセージを送って、煙草をくわえて外に出た。

風邪が涼しくて、気持ちがよかった。