ラグビーのワールドカップ開幕!

したそうですね。


東京スタジアム、
わりと近所なのですが、

開会式をやっていたことを
昨夜の友人の投稿で知りました 笑笑



スポーツ観戦、
数えるくらいしか行ったことがないのですが、

何かのスポーツに、

どこかのチームに、

熱狂的にのめり込んでファンになれるって、
私からすると羨ましいくらい。


そのみんなの盛り上がっている様子を見て、
みんな楽しそう!

とは思うけれど、

私自身は、
そこまで熱狂的に何かを応援したことって、
今のところないのですよねー。


その場に行っても、
溶け込めきれずにどこか冷めちゃって。

ルールも詳しく分からないし、

メンバーのこともよく知らないし、

応援の仕方?ルール?とかも知らないから、
和に入り切れなくて、

楽しむよりも、
疎外感、というか、孤独を感じて
帰路に就くことになるんだよね。。。


これから何かに、
熱狂的になることがあるかもしれないけれど。


そんな時が来たら、楽しそうだなー。



ま、それは置いておいて。


今日は家族で車に乗りながら、
ラグビーワールドカップ開幕したんだって!

という話をしていて。


夫にラグビーのルールとか分かる?
と聞いたんですね。


そうしたら、


「ラグビーのルール、よくわからないね。
 あんまり興味持ったことないし。

 でも、たぶん、

 自分より後にいる人にボールを繋いで、
 前に進んでいくスポーツだよ。」


と、話してくれたんです。


なんか私、
その言葉が妙に心に響いて。



自分より後にいる人にボールを繋いで
前に進んでいくスポーツ




あぁ、ラグビーって素敵だなぁって、
それだけでそう感じ取ってしまいました 笑



そしてやっぱり、
ラグビーというスポーツが生まれた国は、
イギリス、なんだねぇ。



しばらくドライブした後に帰宅し、
テレビで観戦した、

南アフリカ vs ニュージーランド


すごく大きなエネルギーで、
生で見てみたいなぁと、素直に。


でもやっぱり、
ルールはわからないな。  笑笑
今までも
よく耳にしていた言葉ではあるけれど、

ここ最近妙に目にすることの多い、

「自己肯定感」という言葉。



大学生と接していても、

カウンセラー仲間と話していても、

お母さん同士の会話の中でも、

出てくるなぁ。



ま、私も仕事柄、
使う場面はあるにはあります。


この言葉で表現すると、
分かりやすくて、
伝わりやすいなと感じる時に。



でも、

私自身は、

この「自己肯定感」という言葉を
ほとんど気にすることがなくなりました。



この「自己肯定感」って、


高い = 良い、Good、Happy

低い = 悪い、Bad、Sad


みたいなニュアンスで、
使っていることが多いように感じますが、
いかがでしょうか?



高い状態は、
自分を信頼していて、自信があり、前向きな状態。

で、

低い状態は、
自分を否定していて、自信がなく、ネガティブな状態。


という感じでしょうか?




うーーーーん。。。



どっちもあるよね。



日によって違うよね。

時期によっても季節によっても、

揺れ動きながら変わるよね。



人間だもの。



それでいいんじゃないかな。


自分を否定することもあるさ。

それで落ち込んで悩むこともあるさ。

ダメな奴だよ私って…って思うことだってある。

全然能力ないしね、未熟だよね。


それでいいじゃない。


それをないことにせずに、
自分の中に「ある」ことに気付いて、
認めていること自体、

「ある」ことを肯定しているんだから、

自己を肯定できているってことだよ。



なんというかな、
私が素敵だな~と感じる女性は、

そういうことができている人。


自分ができることも、
自分が至らないことも、
どちらも謙虚に受け止めて、

それが自分だって丸っと認めている人。


そういう方たちから、

自己肯定感を高めようぜー!

って言葉は、
聞いたことがないね、そいえば 笑笑



無理に高めるものじゃないんだよね。

自己肯定感って。

自然と高まっていくものなんだよ。



ひとつひとつ
自分が感じていることや考えていることを、

丁寧に丁寧に感じ切って、

自分はそう感じるんだね、
そう考えるんだねって、

そこに、いいも悪いも、高いも低いもなく。

一切のエゴとジャッジをはさまずに、
ただただ「ある」ことを認めていくこと。



そうすれば、
自然と自分が自分を立ち上がらせる。


自己肯定感を―!と、
こぶしを挙げて頑張らなくても、

わざわざ言葉にしなくても、

自然とそういう状態になるんものなんじゃないかな。



自信があって前向きな時も、

自信がなくて籠っていたい時も、

どっちもあって私なんだから。


どんな時があったっていいし、
それで自然なんだから、大丈夫。


無理に高めなくても、
そのために頑張らなくても、

ただただ今の自分を受け止めてあげたら、

いいと思うよー。



眠い時はとにかく寝るに限るぜ!
今日は、
私が事務方でお手伝いさせていただいている、


アムリタ熟

を主催されている、
アムリタ熟長とミーティングをしておりました。



熟長は、私がシェアしている
AFP(Art of Feminine Presence)の
マスタートレーナー、マスターティーチャーでもあります。



彼女が創り出す、場の空気感。


その器をホールドする深さと広大さ。


そして、その場に集う人たちへの
リスペクトと溢れる愛。



これほどまでに素晴らしい場を創り出す方を、
私は今までに出会ったことがありません。



その人が持っている可能性を
最大限に引き出す場を創り出す力



アムリタのこの力を、
天賦の才と呼ぶのかもしれません。



無論、それを才として開花させるまでの
幾多のご経験があってのことですが。




去年のアムリタ熟最終合宿にて



さて、
そのミーティングの中で、


「好きなことが得意とは限らないし、
 得意なことが好きとも限らないよね。」



という話になりました。



自分で認識する自分と、
他の人から見えている自分って違って、

自分が気付けないことを、
他の人が気付いているということは、

多々あります。



というか、そればっかです 笑



自分ではなかなか気づけないんですよね、
自分の才、能力。



あまりにも自然にできてしまうから。

何の苦もないから。



頑張っていないのに、
人から感謝されたりします。


ありがとー!

さいこー!

ホントすごいよねー!


などなど。


そしてそれが価値となり、
お金を払ってくれる人が現れたりします。



そう、仕事になるんです!



そんな能力が、
私にもあるのかもしれないな~と
ここ最近感じているのですが。


私の場合のその力というのは、


オーガナイズする


ことかなと。



オーガナイズとは、

あらゆる事柄について
「うまくやれるように準備・計画する」
「いい方向に行くように整える」というニュアンス


と、ありました。



わりと高い確率で、
委員長的なとりまとめ役を引き受けるのですが、

自分が引っ張っていくというより、
そこに集う人たちの様子を感じ取って、

目的のところまで
どうしたら気持ちよくたどり着けるかな?

みたいなことを、
自然といつもしているようです。


で、結果として、

みんなが気持ちよく活動できた!とか、
とても楽しく参加できた!とか、

そんな風に言っていただいて、
感謝されることが多々あります。


リーダーシップがある!というのも、
よく言われるフレーズだったりします。



それは私としては、
特に「好き」なわけではないんだけれど、

苦もないので、「得意」ではあるんですね。



今これをアナウンスしておいた方がいいなとか、

この流れだったら
あらかじめこの程度予約入れておいた方がいいなとか、

このメンバーだったら
こっちのテイストの場所にした方がいいだろうなとか。


そしてjust!な場所をリサーチして、
その情報にたどり着くことも楽々です。


…というか、
なんでみんなそんなに見つけられないの?


って思ってました。


フツーにググってるだけなんだけどね…

どうしてみんなは見つけられないんだよ…


それも私のひとつの才のようでして。


どうしたらそんなに見つけたり、
みんなをまとめたりできるの?


など聞かれたりするのですが、



わかりません。



できちゃうので、
コツとかお伝えすることもできないんです。



そんな話をしていた流れで、

あぁ、

このオーガナイズができる

という才を生かしていけばいいのだなぁ

と、ゆるりと「わかった」昼下がりでした。



何か場を創り出すのに、
オーガナイズできる人を探している方。

ここにいますよ~♥


お問い合わせお待ちしております♥ 笑笑
ただただ、
純粋で素直なエネルギーというのは、

一緒にいる人を
気持ちよくさせるんだなと、

改めて感じる。



ただ一言の挨拶でも、

こちらを見ている視線でも、

そこに乗ってくるエネルギーというのは、
明らかに相手に伝わるものだから。



その純粋で素直なエネルギーを、
私に向けてくれているのを感じた時、

その彼らのエネルギーは、
私の中に取り込まれて循環する。


パワーチャージとも言うかな。



でも、
その彼らの純粋で素直なエネルギーを、

その純度のまま表現してもらうには、


やっぱりこちら側に、
曇りがあってはならないと思う。


曇り、というのは、
こちら側の心と身体と、

そして表現している言葉や態度、

そこから立ち上がってくる存在感。


その全てが調和して初めて、

彼らの純粋で素直なエネルギーは、

その高い純度のままに放出され、

周りにいる人をエンパワーするのだと思う。


こちらに曇りがあれば、

彼らはそれを瞬時に見抜く
素晴らしい感性を備えているから、

その高い純度のまま放出されることはなく、

周りにいる人を気持ちよくさせることも、
エンパワーさせることも、

ないように感じる。



だからやっぱり、
まずは自分自身だと私は思うし、

私はまずそういう人で在りたい。



相手がそう見えるのであれば、

きっと自分自身が
自分自身のことを
そうみているに違いない。
この夏から、チネイザンを受けています。



毎回、

人間の身体と、
そして感性・感覚の、

その繊細さと、誠実さに、
感動するのです。



そして面白いな~って思う。



いわゆる、
頭でから出てくるような意思とは別の、


もっと根源的で本質的な、
そんな意思があるような感じがする。



で、圧倒的に後者の方がパワフル。



でも、その感覚を、
今の社会的な物差しに当てはめてみると、

ものすごーーーーく、

非生産的に感じられることが多い。



そんなことやって何の意味があるんだよ!?



ってことが多い。
(むしろそれしかない)




根源的で本質的なことというのは、
面倒なのです 笑笑




でもね、

そこが満たされていくと、
全てが面白いように整っていく。


良きに流れていく


そんな感じがしています。



だって、根源的で本質的なことなので。



ピラミッドの底辺、土台を、
しっかりと満たしてあげたら、

その上に乗ってくるものだって、
しっかりと積みあがっていくしね。



結局のところ、


とっても生産的♥


と、私は思って気に入っています。




チネイザンの施術後、

私が施術中に感じたことを
プラクティショナーの土屋しずかさん
お話していた、その流れの中に、


understandingは必要なくて、

大切なのは、

just knowing


というフレーズをシェアしてくだっさって。

すごーく心と身体に響いて、染み入りました。



本当に現代を生きる私たち日本人は、
圧倒的に思考が優位になっていますから、

どうしたって「understanding」しようとする、
そういう癖が身に付いてしまっているけれど、

本当に大切なことって、「just knowing」。



自分が今感じ取っていることを、
ただ知ろうとしていること。

理解するのではなく、

ただただ、知ろう、とすること。


そこに一切のエゴやジャッジをはさまずに、

ただただ、
ありのまま感じ取っていることを、

そのままごまかさずに
知ろうとすること。


気付くことに意識的であること。


そんな風に私は受け取りました。



身体は嘘をつかないから、
気付きたくないこともあるかもしれない。

(むしろ私はそれが多いかも w)


でも、それすらも、
目を逸らさずに
気付くこと。


ただただ、

「今、そうだ。」

ということを知ろうとすること。



まっすぐに
まっすぐに

どこまでも自分に誠実で在りたいな。