気付ける、という力は大きい。


気付く、ということは、
そのありのままを見るということだから。


見るということは、
ちゃんと目を向けてあげるということ。



それは愛だよね。



好きの反対は嫌いではなくて、無視だという。



それは、本当だと思う。

そんなに辛いことは、悲しいことは、ないよね。


いるのに、いないことにされてしまう。

あるのに、ないことにされてしまう。



それは、自分の内側だって同じだ。


気付いてあげること、
目を向けてあげることは、

愛を注いでいることなのだから、

それさえしてあげれば、
その後はちゃんと自分の力で伸びていける。



だから、気付いたら、越えていける。

越えられる。


そしてそのために、
自分を大切にするための選択を、

勇気を持ってOKしてあげたい。



越えるよ。

越えていくよ。


ゆこう、私よ。
やりたいことをやって、

ゆったり過ごすこともたっぷりして、


時間に余裕があると、
気持ちにも余白が生まれて、


自分にもそうだし、
周りにいる人とも、
優しくなれるんだなぁ~

と感じて、


有難い


という気持ちが、
自然に湧き上がってくるような、

そんな自分のコンディションまで
戻ってくることができて。

(相応の時間は必要でした。)




それまでって、
本当に自分の気持ちに蓋をする、

どころの話ではなくて、

切り離して、
気付かないふりをして、
無視し続けて、

とにかく【がんばる】ことを
し続けていたんだと、

今振り返って思います。



そしてもう、

【がんばる】

ことは手放せたのだと、
そう思っていたのだけれど。



とんでもなかった、ね。



強く、強く、まだ握りしめていたんだ。


【がんばる】

ことをしなければ、
自分には価値がないと、

まだまだ深いところから信じていて、


【がんばる】

ことが十分にできていない、
自分はダメな人なんだと。


でもやればできるんだから、
やらなくちゃと、

まだまだ信じていたよね。



やればできるんだから。


そうよ、やればできる。


でも、
やりたいことは、

そんな言葉を使うまでもなく、

やってしまう、んだよ。


でも、
本当はやりたくないことを、

やればできる

って信じて握りしめていると、

行動できない自分に苛立って、
責めてしまって、
情けなくなって、
否定が始まるよね。


自己否定。



でもそれはもしかしたら、
やらなくていいことかもしれない。

やればできるんだから、
やってもいいんだけれど、

がんばらないとできないんだったら、

やることにすごくエネルギーがいるのなら、

やらない、
という選択肢があることを思い出して。


それを選んでもいいし、
選ばなくてもいいし、

どっちでも大丈夫だけれど、

ずっと苦しいのなら、

一度離れてみるのもありだと思うよ。



私は、
ある程度のことを
ある程度のところまで
わりと器用にできてしまうので、

やればできるんだけど、

それが自分を苦しめてきたことに、
気付いたんだよね。



やるから
大丈夫だから
できるから

って、
言葉にして、

自分に言い聞かせてきたけれど、


本当は、

【できない】

って、
一度言ってみたかったのかもしれなくて。



で、
今日それを、
自分に向けて言ってみたら、

なんか

安心しました。



できない。

私にはできない。

できないけれど、
私は私のままここにいるよ。


そして、
できなくても、

私だけは
私の味方でい続けてあげたいと、

そんなカッコよさげなことを
思っていたのだけれど。



夕飯の片付けも
お風呂も終わって、

コーヒーを飲みながら
まったりとしている時に、

ゲームを楽しんでいる
子供たちもいるところで、


ママはやっぱり

やりたくないことは
がんばれないし

やりたくないし

できない


って、
言葉にして言ってみた。



そしたらみんなして笑って、


当たり前じゃん!


って。



それがもし、
お金のことを思って

がんばらないと

って思っているんだったら、

そんなのは必要なくて。


やりたいことだけ
楽しんでやってればいいんだよ!


って、小4と小3 笑笑


旦那さんも笑って、
そうそう、それでいいって。



あーーーーーー。

泣いちゃったよね。



がんばらなきゃって握っていたのは
私だけで、

がんばらなきゃ
価値がないって思っていたのは
私だけで、

私が自分でどうにかしなきゃって
思っていたのは、
私だけで、


もうそのままでいいよと、

軽々と笑ってくれる人たちがいて。



重いものがどどーっと降りて、
ふわぁっとあったかく包まれて、


そしたら
湧き上がってきたよね。


やりたい、が。


まずはそこに集中して、
とことんやろう。


やりたいを、やり尽くそう。


自分が感じ取っていることを、
とことんまでに信じ切って、

委ねていこう。


自由に。




現実をしっかりと見つめると、
目を背けたくなることがあります。


でも、そこ、
まっすぐ見ないと、
見失うから。


逸らしても逸らしても、
いずれまた同じとこに
戻ってきてしまうなら

今痛くても、まっすぐ見る。


そう決めたのは自分なのに、

痛いし、
怖いし、
マジで?って思うし、

もうやだー!
と逃げたいのが本音。

全部投げ出したら、どうなるかな?


はぁ。

だけどまず今はこれを、味わう。


それだけ。

まずすべきはそれだけ。


そこをまっすぐ通り過ぎたら、
きっとやるべき行動が見えるはず。



味わう、感じ切る。



まずは。
今日は秋分の日。


やっぱり季節の節目というのは、
エネルギーが本当にパワフルで。



目には見えないけれど、
感じ取っているものを信頼して、

その流れに逆らうことなく


委ねて


その時に目の前にあることに
真っ直ぐに目を向けて

積み重ねていく。



日本の暦の奥深さ。



自分が感じ取っているものを
ただ真っ直ぐに受け取って


信頼して

逆らうことなく

委ねていく。



言葉で書くと
こんなにもシンプルなのに、


あらゆる情報に絡み取られ、
思考に支配された
現代人の私たちには、

何とも難しいことのような、


いや、


難しく感じ取っているのは
自分自身に他ならないのだけれど。



シンプルなはずなのに、
ものすごく勇気が要るような、

そんな感じがしてしまう。



けれど。


もうそこをも、
あっけらかんと超えて、

先に進んで
着実に積み重ねていくような。


まっすぐに
ただただ真っ直ぐに進んでいくような、

大地をしっかりと踏みしめながら。


そんな時に来ているのだなと、
わかります。




ケシーちゃんのブログに、こんなことが書いてあって、


おさらばする


あぁ、そうだよなと思いました。




私はもう、


自分の時間とエネルギーを、
切り売りすることからおさらばする。


もっと言えば、

それを考えることすらからも、
おさらばする。



もうただただ、

私は私の人生の
時間とエネルギーを

まっすぐに


今やりたいと感じていることに注ぐ。


もうそれだけやる。


だけど、
徹底的にやる。


言い訳せずに、本気でやる。



だから、
もう他の方法を考えることに

時間とエネルギーを注ぐことから

おさらばしましたー。



けっこう、グッとくるね。



いつもいつも、

ありのままを受け止めようって
書いている私だけれど。


でもそれが、
しんどいのもよく知ってます。



今、私が絶賛その渦中。



今日、
ふとした会話のやりとりで、


まだまだ私は、
他の誰かと自分を比較して、


自分が低い、とか、

自分はダメだ、とか、


そんな風にジャッジしていて。



そこからもう、
猛スピードで引っ張られたよね。

被害妄想ワールド。


だから私はダメなんだ、と、
一通りいじけた後、


このままじゃやばい!

どうしたらいいんだ!


って、焦りまくったり。



そしてそれが、
自分の内側で起こっている
ストーリーだと気付いたら、

ちょっと落ち着いて、

ただただ、
そう感じていること
そう思っていることを

見つめて、
感じ切る。


そう、自分は思っているんだって、
そう、気付いてあげる。



ただそれだけでいいはずなんだけど、

しんどいよね。


いや、ホントしんどい。


ちょっとまだまだ
感じ切れていないから、
中途半端な今は、

かえってきつい。



でも今自分にできることはこれだけだし、

またここから目を逸らしたら、
同じことが繰り返されるだけだから、

もういい加減にここで終わりにしたいから、

やっぱり感じ切ろうと思うんだ。



少し時間がかかるかもしれないけれどね。


きっと大丈夫だから。
(ま、死ぬことはないからね。)



節目の力強さはすごいね。

それを暦に取り入れて
生かしていた先人たちの生命力って、
本当に素晴らしいよ。


Simplog