以前ブログ界隈では、幸せになるために「やりたいことやる」「がんばらない」が良いといわれていましたが、今でも流行っているでしょうか?
私は、このような教え方は、本質を勘違いさせて、むしろ人生を苦しくすのではないかと考えています。
 
本質的なことは、禅宗や原始仏教の教えが参考になると思います。
仏教というと抵抗を感じる人もいるかもしれませんが、西欧のユング、アドラー、ロジャースなどの著名な心理学者も原始仏教の影響を受けています。
また、ウツの治療として有名なマインドフルネスやACTも禅宗の考え方がベースになっています。
 
偉いお坊さんて、穏やかだけど威厳がある感じの人が多いように思いませんか?
心の鍛錬をしているからだと思います。
 
仏教を参考に「やりたいことやる」を考えてみましょう。
 
 

 

やりたいこと≠煩悩
 
煩悩というのは欲のこと(つまり「やりたいこと」)で、それを禁じる仏教は禁欲的と思っている人は多いと思います。
が、その理解は少し間違っています。
 
煩悩というのは「自分を苦しめる欲や考え」のことで、以下のようなものです。
  • 慢性化や過剰になった欲
    快楽、薬物、ギャンブル
  • 不安や嫌悪からくる欲・行動
    人を攻撃する、ふさぎ込む
  • 勘違いや思い込み
    事実を客観視できない状態

煩悩に含まれる欲は、人を苦しめる質の悪い欲です。

仏教では、この煩悩を増やさない方法や、煩悩から解放される方法を教えています。

 

以下でも、煩悩を詳しく説明していますので、興味ありました覗いてみてください。

 

人は注意していないと、割と簡単に煩悩が増えてしまうんです。

仏教では、その仕組みを「十二縁起」で説明していますが、その内容は現代の科学的な「行動分析」とほぼ同じで驚きます。

 

以下で、もう少し詳しく説明していますので、興味がありましたら覗いてみてください。

 
やりたいこと≠衝動
 
衝動は煩悩ですから、従っていると不幸になります。
ですから、「やりたいこと」と衝動を混同してはいけません。
 
わかりやすい例で考えてみましょう。
アルコール依存症や薬物中毒の人は、自分だけではなく周囲の人も不幸にしていきます。
この人たちが衝動の通りしていたら、不幸しか残りません。
 
つまり、「やりたいことをやる」で幸せになるためには、衝動に身を任せることではありません。
仏教が禁じているのは、こういうことです。
 
実はゲームやSNSをやりたいのも、多くの場合は煩悩です。
これらは、ユーザが依存的になるように工夫されているからです。
 
これらはをやるのは、「やりたいことをやる」ではなく、売り手の乗せられているだけですから幸せになるはずがありません。
 

余談ですが、仏教では、愛も煩悩とされています。

愛を、独占欲や離れ難さを伴う愛情と定義しているからです。

恋は苦しい時があるでしょ?その性質は、煩悩のものですね。

 

仏教では、煩悩ではない愛情を、慈愛と呼んで区別しています。慈愛には苦しみが伴いません。もし、苦しいとすれば、嫉妬などの別の煩悩が原因です。

 
「やりたいこと」って何だろう?
 

仏教の教えに取り組む人の重要な目的の一つは、自分を煩悩から解放することです。

煩悩から完全に解放されることを、「悟る」と言います。

 

悟りを開くために、日々、座席≒マインドフルネスなどの心の鍛錬をします。


私は悟れていないので、書物での知識ですが、悟ると世の中が輝いて見えて、自分も幸福感に満たされ聡明になり、思いのまま生きられるのだそうです。

 

さて、本題の「本当のやりたいこと」ですが、これがけっこう難しい…
条件としては、
  • 誰かに言われたものでも、常識に従ったものでもない
  • マニュアルに従ったり、ハウツーに従うものでもない
  • 衝動に駆られたものでもない
  • 問題意識や、達成意欲を伴わない
となりますが、「じゃ、どうすりゃ良いの?!」となりますよね?
 
私には、「ほんとのやりたいことは、日々、煩悩を片付けて、ふとやりたくなったこと」としか言いようがありません。
 
人生を楽しく上手くやっている人達が、私にはどこかいい加減に見えます。
問題意識が低かったり、目標が無いように見えるからですが、煩悩から解放されている状態かも知れません。
実はそれが人生を充実させ楽しく過ごす極意なのかも知れませんね。
 
私は、「やりたいことをやる」というのはTo Do の問題ではなく、「やりたいことができている」というTo Be  の問題だと思っています。
つまり目指すべき状態ではあるけど、行動指針にすべきものではないということです。
 
決して、煩悩に突き動かされている状態を、「やりたいことをやっている」と勘違いしてはいけません。
煩悩の誘いになると煩悩はどんどん大きくなっていき、苦しみは増えていきます。
 

私の体験
 
 
私は離婚で、家族や財産の多くを失ったとき、土日の遊び相手もなく、悲しみや孤独に苦しんでいました。
いつもネガティブな感情が溢れていて、人と飲みに行くのも最低限、仕事以外では家にこもりがちの状態でした。
その苦しさから逃れるための試行錯誤ののち、煩悩の片付けが気持ちいことに気づき、取り組みました。
 
 
その取り組みの効果を感じ始めたころ、知人に誘われてバンドを何となく始めてみました。
それを機会に、友人が増え、その付き合いからバンド以外の趣味仲間もでき、人生が好転して楽しくなっていきました。
 
しばらくしてから「なんか楽しい。俺はこんなことがしたかったんだー」と感じました。
「やりたいこと」というのは、そんなものかも知れません。
 
私の煩悩の片付けの仕方は、以下のようなものです。
  • その日に、感情が動いた出来事や考えを書き出し
  • そこに思い込みや、偏った見方がないか、チェック。
  • ネガティブ感情や強い欲求がないか、チェック。
  • ネガティブ感情や欲求が湧いてきたら、RAINで鎮める
当時は、仏教に興味すらありませんでしたが、結果的には煩悩を減らすことに繋がった合理的な方法だったと思います。