「求めすぎ」と類似のものに「しようとし過ぎ」というがあります。
ゴルフをする人は、クラブでボールを叩くことを意識過ぎるとキレイに打つことができず、曲がったりダブったりすることが多いことは、経験しているとおもいます。
「あてにいき過ぎた」と言ったりします。
「"あてる" 感覚ではなくて、"あたる" 感覚」と教えたりすることもあります。
何かの発表などで、「カッコよく決めてやる!」と意識し過ぎると、あがったり緊張して、しどろもどろになったりします。
以下の本によれば、ある弓道では、「的に当てようとするな」教えるそうです。
アレキサンダー・テクニークは、ソマティクス (心と身体の調整法) で少し紹介しましたが、誤った体の使い方を修正して本来の体の機能を呼び起こすことで、体の動きや体調を良くしようとするものです。演劇、音楽、スポーツなどに応用されています。
その「本来の体の機能を呼び起こす」ためには、意識の使い方についても触れられています。
このテクニークの重要な概念の中で、「End Gaining を抑制する」というものがあります。つまり、「結果(End) を得ようと(Gaining)するな」ということです。
ここでの抑制とは、「止める」「手放す」の方がニュアンスが分かりやすいと思います。
体を動かすときには、意識的に動かせる部分と、それをサポートする無意識の動きがあります。
意識的に動かせる部分ばかりに意識がいくと、無意識の動きは歪んで、上手く動けない状態になります。
だから、「しようとするな」ということになります。
ゴルフの「打ちにいく」というのは、「当てる」という動作に意識が行き過ぎて、その他のサポートする動きが歪むために上手くいかないと考えることができます。
これは、心も同様です。
ある目的を達することに意識が向きすぎると、それをサポートする新しいアイデアを生む機能や、感情や衝動を整える心の働きが阻害されるということです。
私はまだ研究中で、「的に当てようとしない」境地は分かりませんが、少なくとも「しようとし過ぎ」には早く気づいて、クリアするのが良いというのは、実感としてあります。

上の話からは、「的にあてようとしないで、どうやって的にあてるのさ?」という疑問が湧いてきます。
この疑問を理解するには、意識の使い方を理解する必要がありそうです。アレクサンダーテクニークでは、「意識を特定の何かに集中するな」と教えます。
たとえば、右手のひらに強く意識を向けると、手は緊張して動きが悪くなります。
弓道で、「的に当てよう」と意識すると、意識は、的・弓を持つ手、弓を弾く手などの特定の部位に意識が向きます。
そうではなくて、全体に意識を向ける意識の使い方が良いということです。
手だけではなく、それを支える足腰胴や的を見る目など体全体を感じ、身体だけでなく、的があり、そこまでの空間があり、流れる空気があり、温度の変化があり、小さな物音がある空間全体を感じ、全体の中の自分を感じる。
そんなイメージのようです。
"今ここ" に没頭するとはそういうことでしょう。
そのように感じると、「的に当てる」というよりも「的に矢が当たる現象の中の一部」として感じられるでしょう。
先に紹介した、弓道の教えでは「的に当たっても、"当てられた" と喜んだり、うかれるな」とも教えるあります。
このように教えるのは、「現象全体の中の自分」という世界観に関係するのかもしれません。
これまでの理解が正しいとすると、RAIN の重要なポイントとしては、自分を観察する時には、どこかの部位だけではなく、体全体や周囲に起きていることに気付こうとするのが良いのかもしれません。
少なくとも私は、頭から順番に体の各部位で何を感じているかを観察したり、部位ごとに観察したあとに、まとまりとして感じようとしています。
これも効果的にRAIN をするためのコツかもしれません。
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