ここ数か月というもの、心が躍ったり、心が洗われる出来事の数々があるものの
それらの出来事を、ブログに書くという気持ちにはなかなかなれず、そのままあっという間に時が過ぎていきました。
でも何故か、久々に徒然なるままに私の日常や非日常をボツボツ、ボソボソと書いてみようと思い始めました。。。
ここ数か月というもの、心が躍ったり、心が洗われる出来事の数々があるものの
それらの出来事を、ブログに書くという気持ちにはなかなかなれず、そのままあっという間に時が過ぎていきました。
でも何故か、久々に徒然なるままに私の日常や非日常をボツボツ、ボソボソと書いてみようと思い始めました。。。
先日、仕事帰りに「日日是好日」を観てきました。
大好きな希林さんの遺作です。
希林さんの存在感はやっぱり凄かったです。
久しぶりに日本映画の良さを堪能できました。
映画全体の佇まいが良かったです。
軒先にある民家の畳の部屋でお茶を点てる。
そこから、四季折々の風情を楽しめるお庭が見える。
茶道具である茶碗や床の間の掛け軸がにくい程味わい深い、
そして、
鮮やかな色をした和菓子やため息が出る程趣のある茶花がそれらを引き立てる。
この絶妙なバランスが「和」の美。
そして、映像の中で成長していく主人公を観ながら思いました。
茶道とは、侘と寂の和の狭い空間での
美しい所作を通して、
人の精神を壮大な広がりへと誘うものなのかもしれないと。
その「道」は長く、厳しい、だからこそ得られるものは大きいのだろう。
瞑想とは、心を鍛える訓練でもあるとおもいます。
私達の心は、時に悲しみ、怒り、怯えの感情や様々な負の思考、知覚、感覚に占拠されたりもします。
そんな時に、瞑想をすることで、それらの存在に気づき、
いずれは、それらの感情や思考も自分の心から離れていくものだと
自分をあるがままに俯瞰してみれる様になります。
そして、自分の心は、実体がないと分かります。
だからこそ、自分で心を空と海の様に悠然と広げる事もできます。
これが「悟り」に繋がるのかもしれません。
そして、セルフコーチングも同じ方向に向かっている気がします^^
人は、生きていく時に常に前向きに、常に目的をもって生きるべきである
と思い込んでいたら、あるいはそう言われていたらどうだろう?
前向きになれない時、目的を見失った時に、
その状態である事に、落ち込むかもしれない。
そして、この無駄な落ち込みが
本来の自己を見失う事になっていることに気づかない。
では、どうすればいいのだろう?
先ず、前向きになれていない自分、目的を今見失っている自分、
ただそれだけを受け入れればいいのだと思う。
自己を責める必要はない。
ただ、今ここの自己を感じればいい。
本来の自己は悩みの中にあるわけではない。
本来の自己は、悩みを眺めているところにいる。
悩みがないことが悟りではなく、悩みを眺める自己を感じることが悟りへの道なのだと思う。
私は、心理学者であり、哲学者である彼の多くの言葉に、若い頃から刺激を受けてきました。
よく耳にし、目にしていたこの言葉も彼の言葉だったと知ったのは最近です。
【心が変わると、行動が変わる、行動が変わると習慣が変わる、習慣が変わると人格が変わる、人格が変わると運命が変わる】
本当にそうだと実感し、彼の言葉として、研修やセミナーでは伝える様にしています。
私達の運命を変えるヒントがこの短い言葉に詰められていますね。。