「リカバリー」という言葉が最近よく、精神的困難を経てきた方々についての話で出てきます。また、当事者研究の概念に「自分の専門家」という考え方があります。この二つには交錯する点があるような気がしている私の感じ方についてお話しします。
リカバリーとは回復と訳されたりもしています。
でも、その翻訳は完全に一致しているわけでは無いと思います。
私が理解しているリカバリーのあり方は、一言で言うと、空気を吸っていること自体がリカバリーの姿だということです。
リカバリーに際限はないと、海外の、困難を経験した当事者は、言います。
私がさらに思うことは、そして、はじまりもないのだということです。リカバリーは優劣で比べるものではなく、一人の人間の生き続ける姿を現したものです。
だから、回復とは違って、度合いを比べることができません。回復とはリハビリテーションの考え方を強く反映した言葉で、元の状態を取り戻すことが意味に含まれていると思います。
同じような、Reを含んだ単語ですが、発展して来た概念には違いが出て来ていると思います。
例として挙げたい私の出会った仲間の話をします。
彼女はとても苦労人で、病気の苦労だけでなくそのもがき苦しみ方も大変な方でした。
リストカットや男性依存などの(嫌われ松子の一生という映画からとった苦労のタイプを表した表現の)「松子系」苦労には事欠かない方でした。
当事者研究の場にお母様に連れられて現れたとき、私は、彼女に言いました。
「この場で一番の専門家はAさん自身ですよ。」
と。
Aさんはびっくりしたと言っていました。
Aさんはびっくりしたと言っていました。
自分の価値を認められずに過ごして来たそうです。
一番の専門家でありエキスパートはAさんだと私は伝えました。
後日、私の携帯メールにAさんから、自分の腕に自分の名前を刻んだリストカットしたての写真を添付したメールが届きました。
私は、「芸術的だね!」と感嘆の一言を返信しました。
昼夜逆転していたAさんでしたが、その直後にソバ屋さんで日中のアルバイトを見つけて働きはじめました。
Aさんの当事者研究ミーティングを経た変化は、Aさんが本当に生きたい自分の人生をただ唯一の自分として生きている、その道程であるというだけだと思います。
この例は、当事者研究によって好転したという意味で挙げたものでもありません。言えることは、誰でも常にリカバリーの途上だということを改めて私は感じたということです。その途上の航海を誰もが自ら舵をきるということを当事者研究は信じているのです。
私は、「自分の専門家」という当事者研究の考え方は「リカバリー」の考え方に共通していると思っています。
(katsuko.)