タイトル「自分の人生を引き受けること」
私の病気さんを紹介します。15歳の頃から統合失調症と呼ばれる病気を私は持っています。特に、罪業妄想、自分が世界中の悪いことの原因だという妄想、のため、前科一億犯と表現出来る程の罪の意識を背負っていました。今でも私は病気さんと付き合って暮らしています。
病気さんの苦しみが辛かった頃、周囲の誰もが聞く耳を持たない中、藁にもすがる思いで職場の上司に勧められていた精神科病院を受診しました。しばらくして入院しましたが、任意入院です。私を死刑にしようとする暗殺集団に追われてると思い、入院してかくまってもらおうとして、自ら進んで入院しました。
利用した制度は、高額療養費制度や自立支援医療などですが、私には心の余裕がなく、父が手配してくれていました。
北海道浦河町にある、べてるの家に退院し、私は回復していきました。一面的に報道で知る方々はユートピアだと思い込んでいると思います。しかし、べてるでも、みんなが幸せな訳ではありません。
TBSテレビプロデューサーの斉藤道雄さんの著作にもあるように、べてるの家でも、殺人はあります。幻覚妄想状態での事件でしたが、この事件については詳しくは斉藤道雄さんの著作をご覧ください。事件の加害者、被害者両面から描いたドキュメントで、その後の支援者の対応についても、示唆が深い独特の対応が臨場感のある文章で書かれています。
その後も、放火もありましたし、万引きもありました。
ここからは、親しくしていた仲間が法に触れる行いをしたという体験をしている私の個人的な意見を述べさせていただきます。
もし、あなたの親しい友達がある日犯罪を犯して支離滅裂な供述をしている、と分かったら、どう思いますか?
精神障害者であっても、自分の行いの責任は取らせてもらいたい、と私は思っています。
それには理由があります。
最近は、医療観察法など法律が変わってきていますが、大きくは現状は変わっていないのではないかと感じます。
触法精神障害者は、閉鎖病棟で終わりの見えない入院を続けていることが多くあると思います。
法の裁きを受けるなら、あなたは懲役何年です、罪を償って下さい。と裁判官に言われますが、精神障害者には司法の目の届かない精神科病院での終わりのない時間だけがあります。
それは判決のない無期懲役や死刑のようなものです。
判決ではないのに、誰が決めているのでしょうか?
触法精神障害者を、何がそうさせたのかも、誰も注目してくれないのでしょうか?
これからのことも考えてはいけないのでしょうか?
もし私が犯罪を犯したら、私は、責任を取る権利を剥奪して欲しくないと思います。
責任を持たせて欲しいです。
また、責任というと、重く聞こえますが、私は責任というものの姿は、自分の人生を生きる誇り、だと考えています。自分の人生を生きる誇りだからこそ、引き受けたいものなのです。
人間としての責任を持つ権利を剥奪されない環境で、初めて回復やリカバリーはあるのだと思います。それには個人の中の回復だけではなく、社会との関係性の回復の意味もこもっています。
これは、触法精神障害者に限らず、入院や外来患者にも言えることにつながっています。
人間として権利を認められる環境にいて、誰もがリカバリーして行くのだと考えています。
自分の人生を生きる誇りを引き受けて行く過程が回復だと私は感じています。
私がみなさんに話していられるのも、私が退院して現在があるからです。今もまだ入院している仲間のことを考えて私は生きています。ただし、私が退院出来たことはラッキーだっただけだというのが、日本の現状だと思います。自分の人生を引き受ける権利は精神障害者には完全には復権されていない現状だと感じています。
最後に、私たちを自分の人生を引き受けている個人として、耳を傾けて頂きたいと、皆さんに対して伝えたいと思います。
(katsuko.)