札幌の
脳にアプローチする治療家
ブレインコントロールコーチ
の荒井隆秀です。
僕は昔教育大学にちょっとの期間
在籍したことがあります。
父親や父親の姉弟も
教育者でもありました。
ただ教育大学を受験したのは、
進学校であった高校の進路指導の
先生から、
「荒井が受かるのは○○教育大学
が固いところだ。
どうだ?それでいいな」
将来についてあまり考えていなかったし、
進学校として進学率にこだわっていた、
進路指導の先生の意見に素直に(?)
したがって受験したのです。
つまりは進学校としての
体裁をつくろうにちょうどいい生徒でありました。
僕の世界観
まだ読んでない方は、こちらを先にご覧ください。
話はさかのぼり、
中学時代の
クラスでの朝礼の時の話です。
担当の先生が
「今日も○○くんは休みか。
どうもならんな~」とひとこと。
その場は何も感じずに
終わったのですが、
その日の授業の終わりに誰かが
「○○君の家に迎えに行くのは
どうかな?」と言いました。
「あっ!」
僕は学級委員長だし
こういう時は先頭に立って何かしないと
と思い、
「明日の朝○○君の家に一緒に迎えに
行ける男子いないかな?」
と声掛けしました。
翌朝○○君の家の前に5~6人の男子
がそろい、窓越しに呼んでみました。
窓越しに顔を見せるものの
「行かない!」の一点張り。
そんなやりとりをしているうちに
時間はとっくに1時間目の授業の時間。
けんもほろろに教室につくと
「何やってたんだ!○○君の家に
行ってたらしいが、そんなことしないで
いいんだ!彼の勝手なんだから」
と担任に叱られてしまいました。
一緒に行った友達は頭をもたげながら
「はい」と。
でも僕は返事はせず無視しました。
本心としては、
正しいことをしたのに褒められなかった。
○○君を連れて来れば称賛されたはず。
委員長としての面目が立たなかった。
恥ずかしながら、
すべてが自分に対する意識だったんですね。
友達もいなく闇の世界で生きてた反動?
からでしょうか。
(まだ読んでいない方はよろしければ
世界観『第1話:愛が欲しくて自分をつくろって生きてた』から、読み進めてみてください^^)
他人の自分に対する注目、評価、称賛
が気になっていた時代でした。
注目、評価、称賛こそが
愛されている証明なのだ…
そう感じていたのです。
こんな体裁をつくろう生き方は、
つまりは、他人があっての自分。
自分の軸を持たない
他人の評価軸の生き方。
それが「愛される」条件だと
思っていたのです。
それでは100人の友達がいたら、
その100人の希望通りの僕を
作らないといけないことになります。
そしてそれが出来ない自分を
嫌いになる。
これはそもそも無理です。
知り合い・友人・親族…
増えれば増えるほど、
演じる自分が増えるわけで、
心は疲弊してしまいます。
そして自分への愛は枯渇して
しまいます。
本当は
自分から出すと帰ってくるんです。
愛も笑顔も、そしてお金も。
後にそんなことに気づくことになります。
今日もここまでお読みいただき、
ありがとうございます。
~つづく~
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