昨日、いただいてきました、感謝状。






ただ、結局、どうして自分が今回、感謝状をいただく運びとなったのか、そこのところは不明なまま。

地域巡回を五年間勤めた、と言うならば、それってぼくだけじゃないような気がするんだよなぁ。


まぁいいや。表彰うんぬんは関係なく、今後も地域巡回がんばります。

表彰に、今から行ってきます。


家に封書が届き、

「警察署長からの表彰を受けてくれよ」

と記してあり。

それ以上のことが書いていないので、推測をしてみると、これはおそらく、月に一回、勤務先の地域を、青パトに乗って巡回している、その活動を、丸五年続けたのが(今も続行中)、評価されたのかなと。

というか、それ以外にはまるで思いつかないのできっと「それな」なのでせう。


会場では、市が主催した「非行防止標語」の優秀作の表彰などもあり、自分も含め、表彰者はみな開会の一時間前に集まれと言われており、やれやれですが、それでは行ってきますかね。

帰りにサウナに寄ろうっと。

たまに、「sekkie先生は社交的だから、」みたいな、言葉がけをいただく。

 

 

もう、今から5年前(今の勤務校に赴任した年)の話だけど、職員集会での校長先生からのお話で、

 

「挨拶を、もっと励行しよう。事務職員や、給食補助員、用務員の先生方から、『sekkie先生とは、よく挨拶をする』と聞く。見習おう」

みたいな話を突然されて、照れくさい思いを、その時から覚えたものだった。

 

 

そんな、日ごろの様子を見られての、

「sekkie先生は社交的だから、」

に、つながるのかなぁと解釈している。

 

 

でもね、ぼくは別に、社交的な人物ではない。

素のわたしは、むしろ”真逆”。

住まう地域のごみゼロ運動なども、もっぱら妻にお任せしてしまうほどだ。

家族の中でもことば少なだし、趣味は図書館巡りというほどの、どちらかというとつわものに部類するくらいな寡黙家。

 

 

しかし、職場ではそうもいかんだろう。

用務員の先生方には、教室内で壊れたところを修繕していただいたり、ふらふら舞い回る支援級の児童をかわいがっていただいたり、給食補助員の先生にも、子どもたちの給食のために毎日尽力していただいたりしている。

だから、自分が日々過ごしている校舎とは異なる校舎でも、壊れた扉を直してくださった翌日にはお礼を言うし、猛暑日になりそうな日に、校庭のなにかしらを修繕しようと麦わら帽子を手に屋外に向かう際には、「とにかく気を付けて!」と本気で声をかける。ただそれだけ。

 

つまり、「社交的」だなんていう、性格上の、あるいはキャラクターに起因するようなことでは、ないのだよ。

それは、「社交的」とは別件の話。少なくとも、ぼくの中ではそう。

 

 

まぁ、あれだな、前任校で2年間「教務」を務め、現任校でも1年間それを従事したことにより、いわば「教員ではない職員」の先生方の日々のがんばりを多少は見知っていることも、そこに大きく関わる話なのかも。

 

 

いずれにしても、とりわけほめてもらうような話ではないと、ぼくは思うし、

たとえば「社交性」みたいなフレーズを安易に使うと、実相とは異なる、誤解を生みかねない。

わたし個人にかかわる話は、別にどうでもいいのだけれど、

これは児童を見つめる(理解する)まなざしの視点においても、気を付けた方がいい話ではある。

土曜参観を昨日終えて、日曜からの連休ということで、両親を連れて、たまーの親孝行。


クルマで二時間近くかけて、埼玉県は奥秩父の温泉宿へ。

宿にサウナがないことが、自分としては痛手だけれど、今日はガマン。その分、明日親と別れたあと、平日の、空いたどこかのサウナに行っちゃるぞ。




先日の林間学校の引率中、二日目のオリエンテーリングで、児童たちを待っている間にふとスマホで撮った写真が、ことのほか気に入り、スマホの壁紙にするのはもとより、それに飽きたらずここにもアップしたくなった次第。





林間学校での出来事については、じっくりここに記したい気持ちはあれど、明日以降の気分に任せます。




ものすごく複雑な思いを実は抱えていて、ここに形として残すべきかどうか、迷っているんだ。

一昨日から昨日にかけて行ってきた林間学校。

帰宅して、デジカメのメモリをメモリリーダーに入れようとしたら、こともあろうか、パキッと、メモリが割れてしまった…。

暫しのあいだ、呆然としてしまいましたよ。





まあなんとか、「最後の一度だけ」と無理やりねじ込んで、データは無事PCに移せたのだが、いやあ、焦ったあせった。

三月末に、こんなログを残しました。




もはやGWも過去の話、林間学校本番まで残り二週間!

というわけで、昨日、学年団二人と養教の三人をクルマに乗せて、再訪してきたわけですよ、赤城の山⛰️を。









一晩経って、つくづく後悔していることに、服装こそ長袖のいで立ちだったものの、うっかり忘れたよ、帽子の存在を。


おかげ様で、頭皮が日焼けして痛い(泣)

夫婦で、こんな番組を観た。






ぼくが、まだ教員になる前、サラリーマンとして、脂の乗り切った三十代、その後半に、「肩書をみっつ抱えていた」時代辺りから、心身に違和感を抱え、結果、39歳で退職して、その後教員免許を取得して今に至る…、そんなことまで思い出しながら、観ていた。

 

「あなた、いま、どう?(大丈夫?)」
なんて、番組が終わって少し経って、妻から確認されたけれど。
いや、今は実際すこぶるいい感じで、そう返事もしたのだけれど、ぼくだって、妻だって、いつ、急にメンタルを崩すかどうかわからない。
今朝も新聞で、いきなりメンタルを患った教員の新聞記事を読んで、ううむと唸ったりして。


山口一郎さんのことも、心をぽきっとやられてしまった学校の先生たちのことも、全然人ごとではない。
そんなことを学べた気がする。


タイトルに掲げた通りなのですが、ここ数か月、ジャズ・ピアニスト、チック・コリアさんに、すっかり夢中なのです。

 

 

今まで、もう30年をゆうに超えて、パット・メセニーさんというジャズ・ギタリストが、わたしにとって、生涯イチのアーティスト。

二十数年前の結婚式でも、式全体を通して、パットの奏でる音楽をBGMとして使い通すプロデュースぶり。

むろん、結婚前に、パットの音楽の素晴らしさはある程度、妻にも調教済み。(調教って…)

来日コンサートにも二回ほど連れて行きました。

 

子どもが生まれた後も、コンサートホール内の託児所に彼を預けて、観ることができたっけな。(あとで詳しく記すかも。すみだトリフォニーホールの話です)

 

 

パット・メセニーさんの音楽に、何十年もかけて沼れば沼るほど、共演者のことを知ったり、好んで聞いたりすることも畢竟あるわけで。

たとえばそれは、ハービー・ハンコックさんだったり、ミルトン・ナシメントさんだったり、あるいはゲイリー・バートンさんだったりするわけですが。

そんななかに、いたわけですよ、チック・コリアさんも。

 

だから、これまでにもチック・コリアさんのアルバムは時折聴いてきたのですが。

「spain」という超名曲だって、好んで聴きましたが。

 

かつては、中毒者のように、パットさんの音楽を聴いてきたわたし、今ではもっぱら、チックさんの音楽に首ったけです。

 

 

ここまでわたしをチックさんのとりこにさせた、いわば「引き金」的な音源は、これ。

 

 

 

 

 

スティーヴ・ガッド、神業!

パット・メセニーさんと同じくらい、長年愛しているアーティスト、steely danの『aja』を、どこかほうふつとさせる熱演がたまらない!

 

 

で、昔から持ってはいて、たまに聴いていたような、そんな存在だった、

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなあたりを、改めて注目しては、刮目して。

それに飽き足らず、どんどん過去の名盤を購入しては、悦に入る日々。

 

「過去の名盤」を、きりがないので一枚だけ挙げると、

 

 

 

 

1975年にチックさんが初のグラミー賞を手にした、このアルバム。

タイトル曲は、生涯ずっと聴き続けたい名曲。

この先、もしもジャズピアノを習う機会がわたしに訪れたならば、この曲か、あるいは「mornin'」か「joy spring」を選ぶだろうというくらいに、心から気に入っている次第。

 

 

ついには、チックさんの残したアルバムを最終的にコンプリートしたくて、そのために、

 

 

 

こんな資料(これはもはや雑誌ではなく資料)を入手する始末。

kindleでも、同様の資料をゲット。

 

 

まだしばらく、チック・コリアさんフィーバーは、続きそうです。

姿勢の保持に課題を抱えている、学級の新一年生。

「どげんとせんといかん」ということで、満を持して試しているのがこちら。






三連休のあいだに密かに準備しておいた、姿勢の保持のためのセンサリーツール。

存在は知っていたけれど、使うのははじめて。



効果は…、あり!

椅子につけられなくて(椅子の形状の問題)、机の方に、写真の通り強引に付けてみたのだけれど、これでもバッチリ👌

このまま使い続けることで、根本的な姿勢の保持に資するものなのか、長い目で観察しようと思います。