小学校でいじめ 同級生の保護者に賠償命じる判決 東京地裁 | NHKニュース
都内の小学生の児童が、同級生から殴る蹴るの暴行を受けていた「いじめ」に関して、東京地裁が賠償を命じたというニュース。
わたしが気になるのは、同級生の保護者に対して賠償を命じた旨につづく話。以下抜粋。
一方で学校側の責任については「男子児童と同級生の身体的接触の多くは休み時間に行われていて、担当教諭が容易に認識できたとは認められない」として、区に対する訴えは退けました。
休み時間に起こった出来事について、担当教諭(まぁ、主に担任だろう)がなかなか認識できなかったということに対して、いろんな思いが渦巻いている。
ひとつ。
「そりゃ、担当教諭の視界の中で、堂々とは行われなかったのだろうな」、という単純な感想。
ひとつ。
「休み時間にこそ、子どもの素が現れるのは畢竟」、という思い。
わたしは、特別支援教育コーディネーターとして、可能な限り、業間休みや昼休みには、校庭に出て子どもたちの様子を確認したり、時には逆に、そんな休み時間に校舎内に滞っている子どもたちの様子をぶら~っと観て回ったりしているのだが、こういう時間、もっと言うと、たとえば予鈴が鳴って校庭の子どもたちがサッカーボールなどを携えて校舎に戻る過程などを注視して、子どもたちのリアルを、できるだけつぶさに観察するようにしている。
なんならわたし、尿意や便意を感じたら、業間休みや昼休みにさしかかる前に、いつも済ませている。つまりそんな気働きをしながら、子どもたちの世界を注視している。それくらい、休み時間って、実は気にすべき。
ひとつ。
「休み時間とはいえ、『こと』に気づかなかった担当教諭にも、一定の非がある」という認識が、下されなくてよかった、と言う思い。
さきほど、尿意や便意の話をつい記してしまったが、われわれだって、トイレでリラックスはしたい。しかし、そんな瞬間すら(ある意味)許さない、なんて見方がされてしまうと、さすがにそれはおかしいし、そうでなくても、またぞろ、教員の成り手を逓減させることにつながりかねないよ。イヤほんと。
ひとつ。
ただ。
とはいえ。
「担当教諭、まったく気づかなかったの??(じつは気づいていたのでは?)」という思い。
そう、実はわたしがいちばん感じるのはここからの話で、なにか察したり、予兆を感じたりすることができたのならば(そうあって欲しい)、その危機感を周りに伝えるべきだし、周りも、教職員全体で、ことに当たるべき。
担任の先生が、せめてトイレくらいは行けるように、作戦を講じるべきだったのでは、と感じる。
つか、どの教職員も、その「不穏な空気」を感じなかったのか??と、ぶっちゃけ思ってしまうし(当該校の先生方には失礼ですが)、「殴る蹴る」レベルの暴行ならば、なおのことですよね。
隗より始めよ、な話で、わたしも勤務校で気を付けなくては、と、改めて襟を正しました。
明日からも気を緩めず、でも表情は緩めつつ!、がんばろうかな。