たまに、「sekkie先生は社交的だから、」みたいな、言葉がけをいただく。
もう、今から5年前(今の勤務校に赴任した年)の話だけど、職員集会での校長先生からのお話で、
「挨拶を、もっと励行しよう。事務職員や、給食補助員、用務員の先生方から、『sekkie先生とは、よく挨拶をする』と聞く。見習おう」
みたいな話を突然されて、照れくさい思いを、その時から覚えたものだった。
そんな、日ごろの様子を見られての、
「sekkie先生は社交的だから、」
に、つながるのかなぁと解釈している。
でもね、ぼくは別に、社交的な人物ではない。
素のわたしは、むしろ”真逆”。
住まう地域のごみゼロ運動なども、もっぱら妻にお任せしてしまうほどだ。
家族の中でもことば少なだし、趣味は図書館巡りというほどの、どちらかというとつわものに部類するくらいな寡黙家。
しかし、職場ではそうもいかんだろう。
用務員の先生方には、教室内で壊れたところを修繕していただいたり、ふらふら舞い回る支援級の児童をかわいがっていただいたり、給食補助員の先生にも、子どもたちの給食のために毎日尽力していただいたりしている。
だから、自分が日々過ごしている校舎とは異なる校舎でも、壊れた扉を直してくださった翌日にはお礼を言うし、猛暑日になりそうな日に、校庭のなにかしらを修繕しようと麦わら帽子を手に屋外に向かう際には、「とにかく気を付けて!」と本気で声をかける。ただそれだけ。
つまり、「社交的」だなんていう、性格上の、あるいはキャラクターに起因するようなことでは、ないのだよ。
それは、「社交的」とは別件の話。少なくとも、ぼくの中ではそう。
まぁ、あれだな、前任校で2年間「教務」を務め、現任校でも1年間それを従事したことにより、いわば「教員ではない職員」の先生方の日々のがんばりを多少は見知っていることも、そこに大きく関わる話なのかも。
いずれにしても、とりわけほめてもらうような話ではないと、ぼくは思うし、
たとえば「社交性」みたいなフレーズを安易に使うと、実相とは異なる、誤解を生みかねない。
わたし個人にかかわる話は、別にどうでもいいのだけれど、
これは児童を見つめる(理解する)まなざしの視点においても、気を付けた方がいい話ではある。