随筆『徒然草』 | ちらこれさらり

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随筆『徒然草』吉田兼好(卜部兼好。1283年?~1352年以降?鎌倉時代末期から室町時代に   

            かけての官人・僧侶。書きためた文章を1349年頃にまとめる)

       現代語訳 佐藤春夫(1892年~1964年)

       カバーデザイン渡辺和雄  カバーフォーマット佐々木暁  河出文庫 

 
人間ドッグを控えていたある日、万が一に備えて心の準備でも、と徒然草を読んだ。

嘘です。そんな心持ちになることができればいいけれど。

 

徒然草のとある段を、方丈記と紹介していた文章を目にしたので、

「それはポップな方じゃなかったかな?」と確認のために読んだ。

遁世者の随筆ではポップな方、学生時代から徒然草をそう差していた。

方丈記はフォークソングと。もちろんどちらも好きだ。

現代語訳の佐藤春夫解説では、方丈記が哲学的・忍苦・直線的なのに対して、徒然草は文学的・

楽・曲線的と。もっともと思う。

兼好は華美や執着心を戒める一方、恋愛色香には寛容で粋であったり、

物事を非難するも理由があったと知ると改めたり、と柔らかい。

恵まれた育ちと官人時代の交友関係が影響しているのだろうな。

ある公家が不倫相手に出すラブレターを代筆してあげた逸話は好きだ。

無常観や戒め、情趣の理想はおなじみと思うので、それとは違った段を紹介。私のひとことも。

綺麗な娘がいた。多くの求婚者がいた。「栗ばかり食べる変わり者だから誰にも嫁がせない」と

娘の親。                            ___いいじゃん、別に

 

偉い坊さんがいた。短気だった。寺には榎木があって「榎木僧正」と呼ばれた。馬鹿にされたと

イラついて榎木を切った。「切株僧正」と呼ばれるようになった。イライラッとして切株を掘り

起こした。そこが堀池になり「堀池僧正」と呼ばれた。   ___コネで偉くなったのかな?

 

宴席で坊さんがふざけて鼎(かなえ。鍋のようなもの)をかぶった。とれない、息ができない、

首からは血が。いちかばちかと皆で力づくに引っ張った。鼎はとれたが。耳と鼻を失った。

                                     ___ひぇ~

 

地方のある役人は毎朝大根を2本食べる。万病の薬だと信じて。役人の屋敷が賊に襲われた。そ

の時、ふたりの武士があらわれて賊を追い払った。ふたりの武士は「毎朝召し上がってくれる大

根です」と言って消えたという。                   ___・・・えっと・・・

 

鎌倉でとれる鰹が最近もてはやされている。しかしその地の古老いわく。

「昔は人前に出せないものだった」   ___へぇ。近世までのトロみたいなものだったのか

 

鹿の角を鼻にあてて嗅ぐな。小さな虫がいて鼻から脳へ入って・・・。      ___こわい

『花は盛りの時、月は一点の雲がない時、が良いとは限らない。雨天で月を懐かしみ、すだれを

たれて春を知らない、というのも情趣に富んだものである―――――』からの、男女の情愛 

無粋な人々の饗宴。私はこの段が一番好きだ。そして、

『世の中は無常であるから面白い』   

そう達観できれば楽だろうなぁ。