(前回の記事は、以下のリンク)

 

https://ameblo.jp/sekainokesiki/entry-12879312229.html

 

痛みは、不思議な現象である。

 

日常生活の様々な場面、例えば足の小指をどこかにぶつけると、痛みを感じる。また、体のどこかを強くつねると、痛みを感じる。

 

「痛みは、体にダメージを受けると感じるんだな」と考える人は多いと思う。

 

しかし、何か緊急の事態が発生していたり、怪我から注意がそれたりしている時には、痛みをあまり感じない可能性がある。

 

例えば、戦場で重傷を負った多くの兵士たちが、損傷をした直後には痛みを感じていなかったことが報告されている(Patrick Wall著、横田敏勝訳. 疼痛学序説 痛みの意味を考える. 南江堂 2001)。また、サーフィンをしていて、サメに足を噛まれた人で、負傷した瞬間は、ぶつかったことしか感じなかったと報告している人がいる(Butler D and Moseley L. Explain Pain: Noigroup Publications; 2003)。

 

その一方で、「痛みが強くなるんじゃないか」と思うと、実際に痛みが強くなることがある。

 

例えば外科手術後の患者を二つのグループに分けて、鎮痛薬の供給を止めることを知らせたグループと、止めることを知らせなかったグループでは、前者の方が痛みの増加は明らかに大きかったことが研究で示されている(関連する記事のリンクを以下に示す。

 

https://ameblo.jp/sekainokesiki/entry-12875069320.html

 

痛みは、不思議な現象である。体へのダメージと単純に関係しているとは、言い難い。

 

痛みについて、人間は様々なことを考えてきた。

 

例えば、西洋における、古代ギリシャの人々について、いくつかの例を挙げる。

 

有名な哲学者のプラトンは、痛みを「魂の情熱」として捉えていたという。そして、医学で有名なヒッポクラテスは「四種類の体液の異常」と考えていたらしい(Main et al. Pain management: practical applications of the biopsychosocial perspective in clinical and occupational settings: Churchill Livingstone: 2008)。

 

こうした様々な意見の中で、アリストテレスの影響は大きかった。痛みは、感覚、あるいは感情の一つなどとして捉えられた。ただし、アリストテレスの理論では、痛みに関して、脳は何の役割も持っておらず、心臓が重要であると見なされていた。

 

また、痛みに関する東洋の意見として、例えば古代インドでは「欲望のフラストレーション」、古代中国では「陰陽のバランス」や「気」が影響すると考えられていたらしい。

 

このように、世界の各地で、痛みについての様々な考えがあった。痛みは、多くの人間にとって、思考の対象となる興味深いテーマであることが理解できる。

 

再び西洋に話を戻すと、痛みに関して、古代ギリシャの後も、様々な議論があった。脳の役割に関する意見を提唱する人もいたらしい。しかし、痛みの概念に関する大きな変化が人々の間で生じるのは、もう少し時代を経てからになる。

 

やがて、17世紀になり、ある人物の著作が有名になると、痛みの捉え方に関して大きな変化が生じた。

 

次回の記事に続く。

 

(次の記事は、以下のリンク)

https://ameblo.jp/sekainokesiki/entry-12880998044.html

 

 

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