(前回の記事は、以下のリンク)

 

https://ameblo.jp/sekainokesiki/entry-12880138101.html

 

前回の記事に書いたように、人間の歴史の中で、多くの人々が痛みに関心を持ってきた。

 

そして、17世紀に活躍した一人の人物の登場と、その著作が有名になることで、痛みの捉え方に大きな変化が生じた。

 

その人物とは、フランスの有名な哲学者、デカルトである。

 

デカルトは、哲学者であり、数学者であり、物理学者でもあった。近代哲学の創始者であり、解析幾何学を始めた人物でもある。「我思う、故に我あり」の言葉が有名である。

 

デカルトは、心身二元論(物心二元論など、他の呼び方もあり)を提唱した。

 

これは、簡単に言うと、心と体を別のものとして捉える考え方である。

 

心身二元論では、人間の体は自然の法則に基づいて動く「機械」のようなものであり、実験を行って検証することが可能なものと見なした。そして、精神(魂)と肉体は別の存在と考えた。

 

これは、デカルト以前のものとは、異なる考え方だった。

 

古代から続く考え方は、心と体を一つと考え、人間を全体的に捉えていた。しかし、デカルトは心と体を分離するという、それまでとは異なる考え方を提唱して、それ故に当時の人々に大きなインパクトを与えたのだと思われる。

 

もっとも、デカルト自身は、心と体は別のものだが、生きている間には、心と体を分離することはできないと考えていたらしい(Boddice R. Pain: a very short introduction: Oxford University Press; 2017)。しかし、デカルトの理論の中で、心と体を分離するという、インパクトのある部分が単純化されて捉えられ、世の中に広まっていった。そして、後の時代にも影響を及ぼし続けた。

 

この考え方は、人体の理解を含めた、医学の発展を促した。なぜなら、人間の体を機械(自然の法則で動く物体)と見なすことで、科学的な実験の対象となり、身体のメカニズムの理解が深まったからである(ただし、後述するように、欠点もある)。

 

そして、特に痛みに関して、世の中の人々に大きな影響を及ぼした図がある。また、これは前述した、デカルトの理論の単純化にも関係している。デカルトの死後に出版された本に、この図は掲載されていた。

 

どのような図なのか。

 

そこには、一人の人間と、足の近くに焚火が描かれている。そして、足から脳まで続く一本の線(神経)、最後に脳の部分が描かれている。つまり、焚火による熱が足に伝わり、それが神経を通して伝えられ、脳に到達して感覚が生じるということを分かりやすく表している。

 

この流れは、以下のような図で表現できる。

 

 

このように、末梢の身体組織に異常が起こり、それを知らせる信号が神経を介して中枢に送られ、最終的に脳で痛みを感じるという考え方は、シンプルで分かりやすく、多くの人々に受け入れられていった。日常的な痛み(例えば、足の小指をぶつけて、痛みが生じる)を考えるうえで、理解しやすかったのだと思われる。

 

このように、身体的な要素を重視する考え方を、生物医学モデルと呼ぶ。そして、このような考え方の影響は、現代まで続いている。

 

例えば、痛みの「原因」を特定の身体組織の問題に求め、それに対応することで痛みを改善するという治療法が、長年にわたって開発されてきた。椎間板、関節、筋など、対象となる部位は異なるが、様々な治療法が考え出されていった。姿勢の「不良」などを痛みの原因とする考え方も、生物医学モデルと関連している。

 

しかし、心身二元論や、生物医学モデルという考え方には、欠点がある。そして、痛みと関連する、これらの概念に基づく治療の効果にも、限界があることが明らかになってきた。

 

このことについて、次回以降の記事で書いていく。

 

(次の記事は、以下のリンク)

https://ameblo.jp/sekainokesiki/entry-12881862934.html

 

 

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