議論にもなりゃしない | KeyboardだってROCKだぜ

KeyboardだってROCKだぜ

引き際を見誤った、金髪ロックキーボーディストの日常。

さてと。

※画像はイメージです。

自分のことは、自分が一番よくわかってます。なんたって人生も終末期ですから。
●良く言えば【面倒見がいい】
●悪く言えば【お節介焼き】
ほっとけないんですよ色々と。時々その性格が災いして、自分に返ってくることもありますが、それもまた学びの一環。失敗こそが自分の糧になります。
自分の行いは常に一緒なのに、受け手の印象で毒にも薬にもなる。相手あってこそですもんね。良かれと思ってしたことが、逆に相手の反感を買うとか…そういう経験されてる方も多いと思います。

人間が他者に“施し”を与える場合って、自然と“見返り”を求めてると思います、見返り欲しさに施しを与えるっていう意味ではなく。利害関係ってヤツですね。それは物質的なものに限らずで、『ありがとう』のひとことでも十分。ただしここは関係性によっても変わってきます。同じ“施し”でも、見返り求めずにできる、近しい距離感の相手っていますから。親とか兄弟などの身内が代表例、他には恋愛関係とか親友とか。『礼には及ばない』ってね(^^)


この距離感、お互いの思惑・認識が一致してないとトラブルの種になります。
『えっ?お礼の言葉もなし?』なんて。
または受けた施しに対して何かのかたちで返す気持ち。そのやり取りの積み重ね如何で、その後の人間関係は大きく変わってきます。ものの貸し借りについても然り。


ミュージシャンならば。
【自称プロ】とはいえ、人前で音楽やってる立場からいえば、お越し頂く皆様に『ありがとう』、演奏の場を提供して下さる会場及び関係者に『ありがとう』、身のまわりの世話をして下さるスタッフに『ありがとう』、共演・競演するミュージシャン諸氏諸兄に『ありがとう』、自分を起用してくださった方に『ありがとう』。それらの方の協力尽力なしにはできませんから。あ、あくまで自分の場合はですよ。
『ありがとう』で紡いでいける関係は、悪いものにはなりませんから。利害が一致していれば。
一方、先にも書いた通りで、こちらが『当たり前』と思える関係ならいいんです。何もしなくても何も言わなくても。“言わずもがな” です。


なーんてことをツラツラ書き連ねると『アイツはめんどくせー奴』とか言われかねないですが、そもそも人間関係なんて面倒臭さの極致ですよ。それを言葉にするかどうかってだけで。そう、とても面倒臭いです。それをおしても他人と関わりあって行くのは、人間の素晴らしさに触れたいから、自分にないものを持っている人から得るものが大きいから、或いは異性として好きだから…等々。


それなのに。
今流行りのSNSでいえば、自分だけたまたまコメント返してもらえないから『嫌われたと思った』だの、フォローしたのにフォロー返さないからフォロー解除するとか。自分の物差しで他人の行動を推し量るのはいかがなものでしょう。そればかりか、逆恨みして批判的な行動言動に出るとか、人間としての品位を疑いたくもなりますし、それをおかしいと思わない感性も、どうかしてますよ。

ある人にとってはコミュニケーションツールであっても、別の人にとってはプロモーションツール、使い方は各人の自由。まさに【SNS=ソーシャル・ネットワーキング・サービス】、ネットワークを利用した社会構築のためのサービス。
実社会でも、他人の言葉を聞き漏らしたり、時には答えたくないから聞き流したり…ありますよね。
それを自分の流儀(コメントされたら、返すのが当たり前)に反するからといって吊るし上げて、『お友達』の支持を集めて安堵するっていうのはあまりにも了見が狭いなと思うのです。まるで中世ヨーロッパの【魔女狩り】です。


SNSは、我々のような媒体露出を考え合わせなければならない業種(自称含め)の者にとっては、格好のプロモーションの場です。何せ初期投資はほぼゼロですから。そう、発信がメインです。そして有益無益様々な情報の宝庫でもあります。インタラクティブな関係を期待する方が間違ってます。それこそ押し付けがましい。システム上【友達】と言われますが、別に友達じゃないですから。良くて【顔見知り】です。


というような、面白くもなんともない話ですが、個人的にとても腹立たしかったので書かせて頂きました。そりゃたまには怒りますよ、人間ですもの。
喜怒哀楽、感情の豊かな人間が奏でない音楽なんて、きっとつまんないですよ。

こういうのも、一般的には“アメンバー限定”とか設定するんでしょうけど、しません。だったら自分だけのノートにでも書いてりゃいいんです。まるで「王様の耳はロバの耳」ですよね。

とりあえず、他人の人生には興味ないですし、そんなことにばかりかまけてる暇ないですから。そういう期待をされても困ります。
何せ“小さい人種”ですもの♪

まああとはなんとでも言ってください。
誰がどうとらえようとご自由に。
こんなものは、一個人の意見にすぎませんからね。