”前世を詳細に思い出して事実と照合したという「事件」”す | 前世が出てきてコンニチハ

前世が出てきてコンニチハ

ひょんなことから知った自分の前世との、怪しき格闘記。

皆様、こんにちは。

 

本日は、根本先生の記事のリブログをさせて頂きます(最近リブログばっかり。でもこの機能便利)。

ついでに読書感想文など。結構苦手な分野ですが、時々前世関連の書籍の紹介をやって行きたいと思います。

 根本先生のこのブログ記事に出て来た、作家の森下典子さんのご著書「前世の冒険」。清水さんと言う(仮名らしいですが)霊能者に、森下さんは前世はデジデリオと言う名の、ルネサンス期のイタリアの天才彫刻家であったと言われ、わざわざイタリアまで彼の軌跡を追って旅に出ると言うのが、大まかなストーリー。

 

私は森下さんを存じ上げなかったのですが、さすがプロの作家さんだけあって、凄い名文家!私は正直内容よりも、彼女の文章能力の華麗さに惹かれました。描写力ハンパないと思います、森下さん。すげーっ。

 

清水さんの霊視が滅茶苦茶細かく、ルネサンス彫刻関連の専門書などにも載っていないデジデリオ情報満載!一体真実はどっち?ジャジャーン!実際に、歴史書に掲載されている史実よりも、清水さんの霊視に近いような情報も、現地イタリアでの様々なシンクロの中出現します。

 

そんでもって肝心のデジデリオが森下さんの前世だったのか?真偽は謎のままです。森下さんご自身、いろいろ情報収集をしたのだけれど、どうなんでしょうかね、と言うスタンスのようです。

 

ご著書を読んでいると、森下さんはかなり冷静怜悧な方に見受けられます。一般的には「え?それが私の前世?えーっ?」と言う感想を持つ人の方が多いと思います。半信半疑と言うのですか。特に前世が歴史上の有名人だったりすると、現世とのギャップが激しく(だってひとかけらの共通点も継いでなかったら?)、余計信用出来ないと言うのがあるのかも知れません。森下さんの場合、デジデリオの芸術的な描写力を継いだという見方も出来ると思います。

 

これは私の勝手な推測ですが、森下さんがデジデリオがご自身の前世だと信じ切れないのは、「前世への冒険」の単行本の表紙のキャプションにもありますが、

 

デジデリオ、あなたは5百年もの時を超えて、いったい何を伝えたいのか。

 

これが分からないからじゃないのかな?と。まぁ編集者側が付けた、読者を引き付ける謡い文句かも知れないけれど。

 

作中、森下さんが感じるデジデリオの感情と言うものが全く出てきません。前世(だったとして話を進めて)デジデリオが森下さんをわざわざイタリアまで引っ張って来たのには、何か伝えたい事があったはず。それが何なのかがさっぱり分かりません。それとも、後から分かったのかも知れないです。

 

私自身が前世療法やり過ぎたのか(笑)、前世人格の感情を伴わないと、納得しないと言うのがあるのかも知れません。その点、どんなに優れた霊能者に告げられた前世でも感情が動かない、もしくは心の深いレベルで「あー」と思えないと、どうなんだろうね、と思ってしまうのが今時点の私の正直な気持ちです。何故なら、私は前世をも含めて包括して自分の魂を見たいからです。そしてようやく隠れている自分のトラウマなどが理解出来るのかな、と。

 

ただ霊能者のクライアントの魂との繋がり方によっては、クライアントの現世との繋がりの弱い前世が視えてしまうと言う事もあるんじゃないか、と思います。

 

そういう私も、エミリーの感情に気付いたのは、スウェーデンに来てから10年後。その前からエミリーの存在は知っていましたがシカトこいていたし、彼女の感情は自分の感情と思っていたので、とある事件が起きてエミリーが暴走するまで全く気付くことがありませんでした。だから私なんかに言われたくないと思います、森下さんも。「前世への冒険」は、前世関連の大衆文学としては、第一級だと思います。前世へのロマンを感じさせてくれます。

 

ただ前世と言うものは観えないもの。自分が感じて納得出来れば良いわけであーる、と言うのも事実。感じて納得出来たなら、自ずとその人の人生は変わっていくのでしょう。

 

次回は、霊能者のお告げではなく、臨死体験によってご自身の前世と、その時の感情も詳細に思い出したマグロジュースさんの語る前世について、私が思う事を書かせて頂きます。