”象徴の言語を読み解く” | 前世が出てきてコンニチハ

前世が出てきてコンニチハ

ひょんなことから知った自分の前世との、怪しき格闘記。

皆様、こんにちは。

今回は初めてリブログってものをやってみようと思います。

 

私のリブログ第一号は、からすうりさんの記事「象徴の言語を読み解く」です。

 

共同探索ぐるっぽでご一緒させて頂いているからすうりさんは、とてもアーティスティックで感性の高い方。ブログの文章自体がポエティックです。そんなからすうりさんのお好きな事は、メタファーやシンボルのような象徴言語を読み解く作業だそうです。

 

私自身、メタファーやシンボルという抽象的なものの解読が苦手で、そういうものに出くわすと

「言いたい事を、もっと分かりやすいようにはっきり言え!でないと893呼ぶぞコラァ!」と思うタイプなので、逆にからすうりさんのような方に憧れたりします。

 

私は詩なんて全く駄目。短歌とか俳句とか出てきたら、南南西70キロ先くらいに今すぐ逃げたい。スウェーデン人でも俳句を書いたりする人っていますけど(スウェ語でね)、そういう人とは目を合わせず、世間様の目を逃れ、痛まず沁まず心地よく直すヒヒミツヤ大黒堂(誰かこの広告知ってる人手ぇ挙げてー。ハーイ!)。

 

そんな私がスピ関連でしたいことって何だろう?と改めて考え直す機会を、からすうりさんが与えて下さいました。

 

私がしたい事は、魂の仕組みと宇宙真理が知りたいという事なのですが、その手がかりとして私が使っているのが、いつもしつこく書いてるエミリー現象なのです。

 

では前世エミリーの事例で私がしたい事とは一体何なのか?

 

証拠取り。検証、分析、論理の構築。脳と魂の関係を知る。

 

何かこの辺かな、と改めて思いました。だから証拠取りにしつこかったりするのです。すみません土下座

 

本来前世の真贋の検証というのは大変難しいものですし、別に妄想前世であっても本人がそれによって人生が良くなれば良いんじゃないか?とは思います。

 

何かもうこうなると趣味の世界で、私はいろんな角度から検証してあーだこーだって言いたいだけなんだと思います。脳神経学とか大好きだから(笑)。立花隆とか大好きです。彼の書いた「臨死体験」や、SAM前世療法創始者の稲垣勝巳先生のご著書などがバイブル本

 

エミリー前世療法第一回目で、エミリーがセラピストの恵美子さんの質問に対してスウェーデン語で答えるという事が起きました。私はエミリーの声を聴いたわけではなく、ただvissa(英語で言うsome)という単語をキャッチしただけだったのですが、大パニックに陥りました。そのせいか、その時たった一言がなかなか翻訳が出来なかったような気がします。しかも私は、その単語の微妙な使い方を間違えていたというトホホなオチ付き(苦笑)。エミリーは合ってました。

 

恵美子さんはサラリと一言、

「前世の言葉が出たんですね」

とクールなコメントを下さいましたが、理屈っぽい私はそれで収まらない(苦笑)。私の場合、稲垣先生のクライアントの里沙さんのように習ったことも関心もないネパール語を催眠下でしゃべってしまった、いわゆる応答型真正異言現象ではないので、ことさら慎重に行かねばと思っています。

因みに恵美子さんもポエティックな方で、非常に感性の繊細な方です。きっと私の懐疑的な態度と理屈っぽさで、何度もウンザリなさったと思います。

 

そして私の場合、翻訳ミスから路線がズレてきて、催眠下では何故翻訳機能が低下するのか?原因は脳内神経伝達物質の運搬に変化が起きるのか?などと前世療法とは違う方に行ってしまい、何だかよく分かんなくなってしまうのですが、、、。だって医学って難しいんですもの。

 

ただやみくもに前世だ前世だと決めつけないで、脳内現象、もしくは精神障害、潜在意識による願望の現れなど様々な角度から分析、検証していくのも人間という複雑な存在を知るカギになるのではないか?とは思います。

 

でも結局私も、からすうりさんがおっしゃるように、魂の真実などをひも解いていくいは、言語を超えた言語(メタ言語って言うのか?)を読み解いていかないと追いつかないと思っています。

 

私はすぐ既存の学問に結びつけてしまったりするのですが(大して知識ないくせにな)、やはりそこには限界があるのでしょう、とは思います。

 

真に科学的であるには、否定しないこと。これは以前エミリー前世療法とリトリーバルでお世話になった根本先生の名言です。

 

象徴の言語と言えば、言語そのものが象徴と言えるかも知れません。言語学の分野でも記号学ってあるしなぁ。言語概念ですぐに頭に浮かぶのは、スイスの言語学者ソシュールのラングーとパロールの概念、つまり「一度外へ発した言葉は、受け取り手によって解釈が変わる」と言うもの。

 

これはいつも思います。だからこそ象徴の言語を読み解く作業というのは難解なのだと思いますが、あちくしも精進したいと思います。痛まず沁まず。