牧師さんとお相撲さん | 前世が出てきてコンニチハ

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ひょんなことから知った自分の前世との、怪しき格闘記。

皆様、こんにちは。今日は娘が合唱団に入っている近所の教会で娘たちのグループが歌う日だったので、私も日曜礼拝っていうのか?に参加しました。

讃美歌集?の分厚い本を入口で渡されても私は歌えないので(音符も読めん)、祭壇の前のスクリーンに映し出される歌詞や讃美歌の本の歌詞を読むことしか出来ません。ただ毎回まぁ伝統ってのは凄いな、としみじみ思います。
人民に分かりやすい言葉で聖書も讃美歌も書く。歌詞などはすうっと民衆の頭に入るような言葉を選んで書いているんじゃないかといつも思います。
牧師さんのしゃべり方も独特で、誘導催眠習ったらすっごく上手いんじゃないかと思いまふ。教会全体で集団催眠をかけるようにいろいろ仕掛けがしてあるんじゃないか?というのは私の勝手な推測ですが、まぁ宗教ですから当たらずも遠からずなんじゃないか?

しかし環境とはオソロシイもので、私も娘の影響ですっかり二つ讃美歌が勝手に口を出るようになってしまいました。ハレルヤハレルヤって朗々と歌っていたら、ビッチビチに宗教の人なんだなって周囲は思うかも知れません。ってかハレルヤって晴れるやじゃないですよね(笑)。ヘブライ語だべ?

私は娘が歌を歌うので、合唱の発表会のノリで教会へ行っていますが、元は礼拝。なので最後の〆は牧師さんの祝福なんですが、これは結構好きだったりします。私もやりたいです。でも牧師じゃないと出来ないんですよね。大体私の祝福受けたい奴っているのか(苦笑)。大体よく考えると教会の祝福っていうのもの自体がよく分かりません。

この祝福なるもの、他の国や宗派の教会がどうなってるか分かりませんが、手の動かし方がお相撲さんが勝負に勝った後もらうご祝儀袋を受け取る前にやる手の動かし方を思い出させます。密教?なんかも九字を切ったりしますよね。何かみんな共通点あるんじゃないか?と見ていてふと思いました。場の浄化みたいな。

相撲だって原語は「素舞い」で、神様に捧げる踊りが源流だったはずなので、やっぱり宗教関係あるんですね。そういや相撲の土俵のジャッジ(何て言うんでしたっけ?)って陰陽師みたいな恰好してるじゃないですか。それは関係ないのか。

話を教会に戻しますが、祭壇の前では女は昔風に膝曲げて挨拶するのをこないだ発見して何気に驚きました。今のスウェーデン教会なんてかなりリベラルな方だと思うけれど、保守的な部分は残っているんでしょうか。保守というより伝統というのかも知れません。

教会も観察しているとなかなか面白いです。娘の合唱レッスンは無料だし。ありがたいことです。旦那のような教会の信徒さんは年収の1%を教会税として払い、またコミューンから助成金も出ているようです。この教会税を支払うのが嫌で、信徒を止める人が多く、教会は財政難だと聞いています。

旦那なんかキリスト教信仰のしの字もないのに、教会から脱会しないのが不思議です。娘が合唱団に入っているので、教会税は月謝代わりに払っておいた方が良いなとは思っていますが(私払ってないし)、信仰してないからあばよってパッと脱会する人、信仰してなくてもズルズル支払い続ける人の違いって何なんだ?改めて考えると興味深いものがあります。