しかしやはり、どうしても出来ません。
自分の呼吸にだけ意識を10分も集中させるのなんて、とても無理!
もしくは、他のことを考える瞑想という楽しい瞑想の方も、いつの間にか寝ています
![あせる](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
寝る前にちょっととか、寝られないけど本読む気もないから瞑想しようという、かなりついで的な選択なのがいけないのか?などと少し考えてみました。
で、知らない間にいつも寝ているんだから、きっと瞑想のお陰でリラックスした
![右矢印](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/283.gif)
と思えば良いのだ!という結論に至りました。
そう思えばそうなるのです!
私が瞑想出来ていても出来ていなくても、社会に迷惑はかからないと思うし。出来てると思えば大変気分が良いので、きっと出来ているのです。
何でも理想を高く持ちすぎるのがいけないのですね。
瞑想を例に取れば、
「瞑想状態とは、こういう感じで」
って勝手に決めていたのが、そもそもの間違いだったのだと思います。
だから瞑想でなくたって、自分がそれを自分のやり方で出来ていると思う、もしくは出来ている途上だって思えば、最終的には自分の思い描くような、もしくはそれ以上に素晴らしい「出来ている」状態に到達するでしょう。
人生図々しい方が勝ち
![チョキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/105.gif)