思考と言葉のヅレ | 前世が出てきてコンニチハ

前世が出てきてコンニチハ

ひょんなことから知った自分の前世との、怪しき格闘記。

文章早書きの分、誤字脱字の多いピグセイです。因みに今日のブログは長いので、3分クッキングではありません。

突然ですが、うちの娘は8歳で小学校2年生。クラスの生徒数は確か21人で、先生は3人います。
担任の先生が一人と、加配が2人。

担任の先生は40代半ばあたりのオバサン、加配の先生のうち一人は30代後半で男性です。どちらも子持ち。

でもどちらも、フレーケン(英語でいう独身女性を意味するミス。フランケンではありませんドクロ)と呼ばれます。

この二人に対して、フレーケンという表現は変なんじゃないか?と思う人もいると思いますが、保育士さんたちも、俗にフレーケンと呼ばれています。

息子の保育園の先生も、来年当たり定年退職じゃないかと思われる年齢ですが、やっぱりフレーケンと呼ばれます。

これは結局、教師と保育士が若い女の職業だった一昔前の名残りがそのまま残って名残り雪。いるかはどこへ行った?

当時も男性の教師はいて、その呼び方もあるのですが(今は使われていない)、娘の先生はフレーケンのカテゴリーなのだそうな。

日本では看護婦、助産婦という言葉に代わって、今は看護師、助産師が使われますが、スウェーデン語はいまだに変わっていません。

前者はsjuksköterska(フュークフェーテルシュカ)、後者はbarnmorska(バーンモーシュカ)です。これは語尾がskaの女性を表す言葉なので、看護婦、助産婦に相当します。男性の看護師を表す単語はありません。

日本語の下駄箱、筆箱なんて言葉も時代に取り残されていますね。今は靴ばこなんて言う人もいるかも知れないし、筆箱はペンケースとイングリッシュワードにテイクンプレイスされているケースもサムタイムズかも知れないけど、ルー大柴風にスピークするのはディフィカルトなわけですね。

下駄箱だってフレーケンだって、変な表現って思ってる人はたくさんいるはずでしょうに、変わらない。
それらの単語が生まれる前にまず下駄箱や、若い女教師というものが出来、それに相当する言葉が作られるという順番になっているはずです。そしてそれらの単語が時代遅れになった今でも、実際に使われているってことなんざますのよ、奥様。

人間の思考の方が、言葉よりどうしても早いです。言葉は思考の全てを表現出来ないし、かのやふに時代遅れな発想全開の単語で新しい思考を無理に表現していることが、無意識レベルで非常に多いのではないでしょうか?

そうすると、新しい思考自体が古い思考に引っぱられる、というゆゆしき現象も起きることでせふ。
もちろん新しい言葉というのは常に生まれてはいるけれど、我々の柔らかい思考が、お堅い時代遅れな言語というものに支配され、なかなかそのまんまスラスラと表現されないこともあるのではないか?と感じた秋晴れのとある一日なのでありました。