常識の定義 | 前世が出てきてコンニチハ

前世が出てきてコンニチハ

ひょんなことから知った自分の前世との、怪しき格闘記。

3年Ö組加藤先生です。
今日の先生の道徳の授業の前に、皆さんに重大発表があります。

それは何かと言いますと、先生は、とてもつもなく常識のない人間だそうです。

だそうですって、すごく人事ですが、だってそれは他人に言われたことだから、人事さ。

おととい、突発的に昔のことを思い出しました。

でも会社を経営し、何人かの従業員をかかえ、日々四苦八苦している人二人に言われたんだから、きっと非常識なんだと思うよ、アタイ。

普段人とたくさん関わっている人たちから、

「信じられないくらいヒジョーシキ」

って言われたんだからさ。

でもそこまで言われるってのは、ある意味希少価値なんじゃないの?とも思いましたわ。
イリオモテヤマネコのように天然記念物で人間国宝でさ、そのうち天皇陛下が園遊会にご招待して下さるかも知れないし。
その時は、みなさんテレビ見てくださいね!

「セイウチにラブ注入ドキドキ」とペンライトを皇居前で振ってくださっても良くってよ。

ま、その頃には、アメーバピグでも加藤セイウチ広場なんてものが出来る可能性もあるし、楽しみですわ。

私をけちゃんけちょんにけなした人の一人は、

「セイウチにあまりにもきつく言い過ぎた」

と反省したそうですが、おせーんだよっ!

ええ、それで私はとてつもなく非常識でパッパラパーって話しですが、私はそこまでクソミソに罵られても大いに疑問に思ったのは、そもそも常識の定義とは何だ?と言うことなんです。

私と、その会社経営の方々と私の常識というものに、大いに隔たりがあったとも考えられるからです。

だって彼らのいう「常識」が、私の観念の中にはなかったから。

だからそこが非常識なんだよ!と彼らは激昂するかも知れないけれど、常識の意味をウィキで調べてみると、


常識(じょうしき)は、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観、知識、判断力のこと。

となっていました。

非常に曖昧というか、とらえどころの無い定義ですね。

大体、社会の構成員が有していて当たり前のものとしている価値観なんて言われても、分かんないわ。

知り合いにあったら挨拶しろとか、トイレットペーパーは30センチまでとか、海苔巻き食べる時は西向いて笑えとか、そーゆーことか?

常識って何だ?なんて言っている人間に、「アナタ非常識っ!」って息巻いても馬耳東風ですが、常識って時代と共に変わるんですよね。

そういう私も、

「常識ってものがないのかね、あの人は」

なんて凄い上から目線で言うことがあるのですが、それはただの傲慢で、非常にけしからんっ!

人が常識という印籠を振りかざす時の知ったかぶりは、その人間の視野がいかに狭いかを露呈させることにもなると思うのです。

あなたはどこまで世間を知っているのか?
そして世間は、知れば良いのか?

加藤先生は、このクラスのヤンキーよりも反逆児だぞっパンチ!
ただのヒネクレ者とも言いますが。

ってことで、先生の授業は、今日はこれで終わりです。
え?始まって5分もしてないのにもう終わりなのは何故かって?

そりゃあ先生に常識がないからよにひひ

皆さん、寄り道しないで帰りなさいな。

あ、最後に一言。

常識のある人間におなりなさいね。