無我と奇跡 | 前世が出てきてコンニチハ

前世が出てきてコンニチハ

ひょんなことから知った自分の前世との、怪しき格闘記。

音譜ボロは着てても心は錦音譜
っていう古い歌がありますが、私からすればですねぇ、そんなの言い訳ですな。
ボロ着てたら、世間はやっぱり、

「ああ、あいつはビンボーなんだな」

て思いますよ。
そりゃあよっぽどのゴージャスオーラでもかましてれば別かも知れないけれど、そういう人はいちいちボロは着てても、、、、なんて言わないと思うんデスわ。

さてピグのセイウチ、略してピグセイ、未だに引き換え券ゼロの、ボロは着てても心はポリエステル100パーセントの給食袋です。

ピグはゲームだから引き換え券がなくても困りませんが、例えば現実に生きるか死ぬかの、極限的に経済状況が厳しい時などは、どうなるか?

別にお金のことに限ってではありませんが、にっちもさっちもどうにもならない!と言う時、人は全てを天(宇宙)に委ねるので、人の心は無になりますね。
言い換えれば、エゴがない状態です。

この状態を、無私、もしくは無我とも呼びます。

無私(無我)あるいはエゴがゼロになると、どうなるか?

奇跡って奴が起きますねぇ。

何故?

それはエゴがないから、自分でどうにかしようとはもう思わず(だって出来ないから)、己れの行く末を全て天とか宇宙に委ねる結果、宇宙と一体化することが出来るからではないか?と考えています。

エゴがない状態の波動というのは非常に高いので、宇宙と一体化し、「奇跡」を引き寄せることが出来るってことでさぁ。

私の経験では、この無私状態は、ほんの数秒でも良いんです。
たた数秒でも波動がピュアだから、汚い波動で何年も行動するより、はるかに効率が良いです。

「引き寄せの法則」のエイブラハムが言う、波動を整えてから行動しろっていうことだと思います。

低い乱れた波動で三年かかっても達成できないことを、たった数秒の高い波動でやり遂げてしまうんだから、波動のクオリティーたるや、オソロシやオソロシや。

だから瞑想が大切になるってことですね。
理論では分かっていても、なかなか慣れないと実行は難しいですが。

ところで私が無我状態になれたのは、人生でたったの3回だけです。
しかもその三回目が、もう10年以上も前のことじゃないかな。

そんな訳で、私も瞑想を始めました。
昔もやっていて何度も挫折していましたが、今度は少しずつ何とか出来そうです。
その瞑想の過程で気付いたことなどを、新たに瞑想日記のカテゴリーを作ってこのブログで書いていきたいと思います。
でも私はいわゆる霊媒とかチャネラーさん、ヒーラーさんではないので、スピリチュアルなメッセージが降りてくるわけではありませんので、あしからず。

とか言ってドカンと来たりしてチューリップピンク

ピグの文無し状態から、ちょっと哲学してみました。

たまには私だって、深遠高邁なこと言うんですよ。

ペケペンペンクローバー