こんばんは。
今日は不登校、じゃない方の娘との会話で気づいたことを・・
娘は今、大学生で塾の先生のアルバイトをしています。
そこでの面白エピソードを沢山持ち帰って話してくれるのですが
その話のなかで、小学生の話になり、
小学生あるある話を話してくれていました
娘は、小学生の時、一番嫌だったのが、体育のマラソンだったそうです。
体を動かすことは好きな子ですが、あまり運動が得意ではありません。
私が、
「マラソンなんか嫌だよね。ママも嫌いだったわー。
遅かったし、つまんないし、きついだけだしねー。」
と、当たり前のように言うと、
娘、
「いや、辛いとか遅いとか云々じゃないんだよ!小学生あるあるでさ、
ビリっけ集団が走っている最中に、さっさとゴールした先頭集団の、
私余裕です集団の女子たちが、『頑張れーもう少しだよーがんば!』
とか、応援しにくんのが、むっしょーに腹立たしくって
悔しいやら、屈辱的だわ、もう、あれがね、マジトラウマよ!」
ですと
娘の言うところの、私余裕です女子たちも、
まさかそんな悪気ないだろうよ・・
でも、娘にとっては、それは劣等感を刺激され、
公開処刑のような、屈辱を味わわされる時間だったんですね
そんな話を聞いてちょっとびっくりしつつ、笑う私に、
娘
「だけどね、小学校って、
ドリル早く終わった人が、いつまでも終わらない子を教えてあげましょうシステム、もあるんだよ。
私は中学受験組だから、学校のドリルなんか余裕で終わっちゃうわけ。
中学受験組はさ、もうハッキリ言って塾で先の先~のほうまで終わっちゃってるからね
先生もやらせることないから、困って最終手段に出るの。
『では、終わらない子を見てあげましょう!教えてあげましょう』
ここで、私はすすんで、マラソン早いが勉強苦手組、の横に行って
優等生になって、あーだこーだ教えあげることで、
マラソンで味わう屈辱を自分の中で優越感でバランスとるのよ」
ですって! これまた衝撃でした・・・
おそらく、小学校の高学年の出来事だと思うんですが、
あの幼さ残る、まだ素直に見えていた?小学生時代の娘に、
こんなブラックな感情があったとはねー・・・
しかも、数年たった今でも、その屈辱感、
そして、自分の中でバランスをとっていたという
ゆがんだ?優越感は鮮明に記憶にあるんですね。。
子どもって、こうやって、親なんか全然感知しないところで
日々、思いもよらぬことを感じ、傷ついたり、ストレス感じたり
それを自分なりに娘のように解消したりしているんですよね。
でも、みんながみんな、そうやってうまくバランスとれるか?
もし、娘が勉強も苦手だったら・・・?
ドリルも教えてもらう組だったら・・・?
きっと、毎日毎日、学校は屈辱的な場所になったかもしれません。
誰かにいじめられた、とかでも、
周りから見たら、本人にさほど問題があるようには見えなくても
本人の心には小さな傷が
毎日少しずつつけられていることがあるかもしれない
娘との、過去の笑い話から、ふとそんな事を感じました。
読んでいただき、ありがとうございました