ここ3日ほど、何故か分からないけれど
息子、ワンコの散歩に同行してくれます
寒さ嫌いのワンコも、何故か息子が一緒だと
嬉しいのか、積極的に歩いてくれるので助かります
本当はこういう時間に
息子の将来についてとか
気持ちや考えを聞けたら良いな、
と思ったりもするんだけど
私から切り出すと
変に詰め寄るみたいになってしまって
責められてる様に感じるかもしれないので
結局は何も聞き出すことはしません。
息子からも、そんな話は出ないから
のんびり他愛のない会話をしながら
お散歩してます。
散歩道中、
『陽射しが気持ちいいね』 とか
『月が綺麗。ウサギが餅ついてるって誰が言い出したのかね』 とか
『ワンコも、たまには冒険して違うコースを行きそうだよ』 とか
そんな事を私にサラッと話す息子が
なんだか可愛くもあり、不思議な気持ちになります。
私が16歳の頃、父や母とこんな風に、日常会話すら、しなかったよなぁ…
友達と話す時間が何より楽しくて、大事だったあの頃…遠ーい昔
今、学校に行っていない息子には、当然ながら
学校の友達ってものが生活に存在してなくて
勉強もしてない日々。
規則正しく生活する制限もない毎日。
その分、好きなだけ好きなゲームをして
その分、存分にワンコを可愛がって
その分、母である私と話す時間がある日々。
学校に行っていたら、あるべきモノ
手に入れているはずの過ごし方、
そこにばかり目がいって
学校に行っていないと、
それら全てが、『ない』になっちゃうけど、
その分、『何にもない』、わけじゃない
当たり前だけど
その分、他の何か、は、『ある』
その『ある』には
価値なんかない様に見えるかもしれないけど
意味などない様に感じてしまうかもしれないけど
そもそも、価値、とか、意味、とか
世間の常識の枠で
勝手にジャッジされるものなら
そのジャッジ自体、
疑ってみるべきなのかもしれない
そんな事をふと思った
今日の散歩道でした。
読んで頂きありがとうございました