ミゾオチの禁点 の2歩手前 | 『自分と家族の健康は、自前で築く』整体カウンセラーのブログ

「これ、分かりますか?

整体の本をよく読んでいるあなたなら、お分かりでしょう。

ミゾオチのここが、禁点です。

ここに硬結が出ると、4日以内に亡くなる、と言う話がありますね?
だけど、もちろん、ほら、今はないですよね。

全くない。

まだ大丈夫。


それで、

今触っているここ。

ここは禁点の近くで、禁点ではないですよ。

禁点ではないけど、硬いものがありますね?


これはね、本には書いていないけど、

これを放置していると、禁点に入り込む急処なのです。

ここで止められるならば、命は助かるけど、

これを進行させると、大きな問題となりますよ。


で、今後、その治療を受け続ける予定なんですか?

他の病院や、他の治療法はあるのに。



その日、遊びに行くことをちょっと考えてみてください。

いいですか?


ほら、この場処の硬まりが、ドンドン緩んで行くのが分かるでしょう?

「その日は、遊びに行きたい」と体が示しています。


もう一度、今度はその日、治療を受けることを考えて下さい。

ほら、痛くなりますね?

もっと悪くなると言うことです。


このままここを放置していくと、すぐに禁点に入ります。

もう2歩手前、1.5歩手前まで来てますよ。

体は未来のことを、知っています。

真剣に考えてください」
という話をしました。



大変厳しい話ですね。


だけど、

もう今までの無作法を、自分の体に続ければ、

命が危ないことを示していたので、

信頼関係もある方でしたので、あえてお伝えしました。


これで続ければ、次に会うことがなくなるからです。

私からと、ご自身の体からの最後通牒でした。

今なら間に合うけど、これを過ぎると間に合わない。




そして、次に

「いいですか。ここを触って下さい。

ここは、骨と骨の間で隙間が空いていますよね?

どのくらいの幅の隙間が空いているか、判りますか?」

と、ご本人に触ってもらいました。

そして、手でどのぐらいの隙間か示してもらいました。


「前にお伝えした通り、

これだけ、ここに幅があるのならば、

あなたはこの病気で、死ぬ事はありません。

放っておいても、まず大丈夫です。

人工的に変に抑え込むことさえ、しなければね。


だけど、命が危うくなりつつあるので、

これ以上変な刺激を入れると、一気に逆転しますよ。

体は生きるつもりがあるし、生きようとしている。

起死回生の余力もある。


後は、あなたがどうしたいかだけですよ」

とお伝えしました。




その人が、人生のどの局面に立ってるか。

これは、人によって異なるので、私には分かりません。

私は霊能者でも超能力者でもありませんからね。

「〇〇を、しろ」

「× ×は、するな」

とは、私は家族であっても言いません。

本人が選ぶべき事案だからです。


ある人生の局面では、人間は強くは無いので、

「どうしても生きたくない! 病気で死んだほうがマシだ」

と言う人も、当然います。


こうした人を無理に私が生かすこともできないし、

私個人は、最後まで生きた方が良いと思うのですが、

本人がどうしても嫌ならば、止めようがありません。

無限の時間の中を旅し続けるのが私達の魂だとしたら、

無限の中の1回位、自分の命を粗末にする事は、

それが本人にとっての最大の願いならば、

ありかもしれないとさえ思います。


「その決断は後悔することになるが、

後の無限回、二度と自分の命を粗末に扱わない教訓になるから、

経験するのも、1つじゃないでしょうか?」

と私は思う所があります。

他人には強制できませんし、発言もしませんが、

私個人の中で留めている考えではあります。

こんな考えの中で、私は全力で自分の任務を、ひたすら全うするのみです。


なので、ご本人の意志を尊重し、ご本人の意志に預けました。




死を前にしたり、モルヒネも効かない強烈な痛みを前にしたり、

医師達の脅しを前にしたりすると、

どんな人間でも識別能力IQが、猛烈に下がります。

ビックリするほど下がるものです。


だから、本来の力に戻すために、

様々な角度から話をしたつもりです。

「最終的には、自分が決めているんだよ」

とは、伝えました。





病気が治った後に、

生きる目的や、使命が、楽しみがあるかどうかなのです。

どれかがあれば、治る確率は高まります。

治る速度も速くなる。


楽しみなんて、探せばいくらでも出てくるのにね。

生きてれば確かに辛いこともありますが、

目の前の現実から、目を背けたくなるようなこともあるものですが、

そんなものは投げ捨てて、しまってもいいし、

楽しいことだけに目を向けてもいいのです。

それもこれも、生きてこそのもの種です。


生きていれば、苦しみから逃れることはできませんが、

同時に楽しみから逃れることもできないのが、

私達の人生の宿命なのです。

どちらを継続させたいかは、私達個人が決めることができる場合は、

特に現在の日本では多いです。


自分の生き方に対して、哲学や美学がある方は大変多いです。

しかし、自分の首を結果的に締めている生き方や哲学にこだわる価値は、

ありません。


自分をよりイキイキとさせる哲学や美学に、方針変更した方が、

面白いです。


「最初から答えがある」

「これしか答えは無い」

だとかの考えは、自分の首を絞める、怠け者の考え以外の何物でもないからです。


そんなんじゃなくて、

自分を本当に活かす状態とは、どういうことなのか。

これを模索して欲しいものです。


ただし、

お伝えしますが、成果ある模索は、

過去の自分や、過去の出来事に感謝ができなければ、

普通は難しいです。


私達の宿命は、

「上手く行くまで、自分の欲しい結果が得られるまで、

改良を重ね続ける」

と言うことです。

選んだものによって、大病を得てしまったのが現在なんですから、

さっさと感謝して、選び直した方が、私は良いと思います。


頼みましたよ。




(感謝)

吉田直樹 拝