静粛に 下 | 『自分と家族の健康は、自前で築く』整体カウンセラーのブログ

(つづき)




昔、凄腕の恩師に聞いたことがあります。


操法室では、真剣な想いが充実しています。

だから、会員さんも氣が高まっている。

操法が終盤に差し掛かると、やはり集注度も増してきます。


そんな操法が終盤に差し掛かった時のエピソードです。


受付の人が手を滑らしてしまい、

受話器をガタッと落としてしまったのです。


するとその瞬間、

操法を受けていた会員さんがショックを起こされ、痙攣が始まったそうです。


さすがは恩師、そのまま次の瞬間には

そのショックを諌めて、ことなきを得たそうです。


ここまで相手の氣を高めることができる恩師の腕も相当だし、

失敗したショックを御破算にできる腕も相当なものです。

普通なら救急車騒ぎになりますからね。

むろん、運ばれたところで回復も怪しいので、まさに命懸けです。


整体操法が、単純なグイグイ押すものでも、モミモミするものでもないものだと

分かるエピソードだと思います。


極端な例かもしれませんが、

整体操法とは人間とは、このくらい微妙であり、

そうしたものを扱っているのが、整体なのです。


なので、私達は厳しく教えを、受けていました。

またそのように、学びました。




私も臨床に立つようになり更に分かりますが、

こうした整体の感じが分からない人は、確かに難しいですね。

難しい心、難しい体になっている。


乱れすぎた体になっているので、感じ取る力がかなり落ちているのでしょう。

もしくは、失礼かもしれませんが、

そこまで集注した経験が人生においてなかったのだと思います。




私にもこんな例があります。

すべては私の腕の甘さが原因だとは思いますが。


出張でお邪魔した時の操法中でした。

そこの親御さんが、どうしたことか隣の部屋で掃除機を、

ガーガーとかけ始めてしまったのです。 


「おいおい、今あなたの子供の命を預かっているんだよ。

この子の命を何とも思っていないのかな?」

と思ったものでした。


だからと言って、ギャーッと怒ることはしませんでした。

整体も命の本当の所も初めて触れるのですから、

そこは現代人らしく穏やかに何も言わなかったです。


命を育む方向とは反対方向にいらっしゃる状態ですが、これを緩やかですが確実に、

命を大事にする方向へ導いて行くのが、私に課せられた仕事だとは思っています。


でないと、娘さんが手間のかかるトンデモない少女に育ちますからね。

怒った方が娘さんの安全のためには、なったかもですが。




他のケースだと、操法室でしたが、

付き添いの親同士が、べちゃべちゃと世間話をしているのです。

ガハハッと笑ってもいて、心が完全にここにあらずなのです。


「おいおい。今あなたの息子さんの命が、かかっている瞬間なんだよ?」

よくしゃべっていられるなあ、と思ったものでした。

今ここで、息子さんの命に替えてでも、

話さなければならないことではないだろうに。


やはり命を軽視した家庭だと言えます。

またその様な言葉遣いや、行動を私は目の当たりにしています。


相手の真剣さを、汲めない家庭なのでしょう。

双方にそうしているのでしょうから、

親が子供を雑に扱い、子供は親をバカにし始めても当たり前と言えます。


すると子供は自分の人生を守るために、

こうした親を受け入れないようにします。


だって、真剣にならずに開ける人生はないですからね。

子供が嫌がるのも、もっともなのです。

あのままでは、家庭不和になって当たり前なのです。




これを、私の先輩がしていたように

「帰れ! 2度と来るな!」

「帰りなさい、ここはあなたの様な人が来る所ではない」

ギャーッと怒っても仕方ない氣もします。


でも、そう言いたくなる先輩の気持ちも分かります。

命を懸けて、この命を尊重して何とかしようとしているのに、

台無しにしようと横槍を入れられるのですからね。

一喝してでも、目を覚ませるべきかもしれません。


ですが、

私もそうした真剣になれない家庭に育ったし、

逆にそうした扱いを沢山の人にしてました。


ので、

「まぁ、いいや。一緒にじっくり学んでいきましょうか」

という思いで見ています。


横槍を入れられると、操法を受けている人の氣が処から明らかに漏れて行くのが分かるので、

時々睨んでしまうこともありますが(笑)




なので、

片手間に操法もできないし、操法を受けることもできないのです。


整体は厳しいですね。

いやいや、命というのは、そのくらいに微妙であり厳しいものなのです。


60年位前の昔だと、この感覚は当たり前だったでしょう。

七五三を越えられない人が当たり前にいたし、

農作物や家畜の命を自らの手で、直接管理して操作していたから肌で分かったのです。


しかし今や、裕福過ぎるゲーム世代ですからね。

リセットボタンを押せば、何とかなると思っている。

いざとなれば、病院に入れれば良いと思っている。


しかし命は、間に合わないこともあるのです。

その瞬間を逃したら、取り返しがつかないこともあるのです。


先日も、親のせいで取り返しのつかなくなったケースを直に体験しましたので、

こちらはより神経が高まります。




今回は、人によっては厳しい話だったでしょうか。

だけど、これが命の現場、整体の現場の実際です。


さて、明日もそんな現場に参ります。




(感謝)





吉田直樹  拝