こんにちは。
セルフ整体塾・新宿天心会の吉田です。
整体と、他の治癒術や治療院との違いは、いくつかあります。
その一つ、集注に関してお話しさせて下さい。
整体技術が、効果を出すためには、
あることが必要不可欠です。
それは、集注です。
集注するから、効くのです。
集注しないと、効くものも効かないのです。
学校の授業でも集注できたときの身のつき方と、集注していないときの身のつき方では、
歴然とした差がありますよね。
これと同じなのです。
集注が埋められない差をつけるのです。
これが人間の隠しようのない構造なのです。
整体は、集注に始まり集注に終わるものです。
随所に集注が重宝されますし、集注していれば健康になってしまうものなのです。
だから、私も整体に入りたての時は、
他の療術や一般生活との落差に驚きました。
「これは旧態然とした、戦前の悪しき昔の日本の権威主義そのものではないか?」
と思ったほどです(笑)
そのくらい、整体の指導室は、集注した雰囲気=厳粛な雰囲気だし、
整体に関わる人々は粛々としていたのです。
私が通った頃は、創始者・野口晴哉はすでに死んでいたので、
昔の雰囲気を知っている人が、近い雰囲気を出してくれていました。
それで、今迄とは違う感覚を覚えたのを記憶しています。
もちろんですが、こうした雰囲気は、
権威主義のためにやっているのではなく、効果的な施術を来られる方に渡すために、
必要に迫られてしているものです。
野口晴哉の操法室は、一種独特の雰囲気があったそうです。
それは、伊勢神宮などの高貴な宮の神前の雰囲気に近いとのことでした。
男ならネクタイを締めていかないと、とてもじゃないけど初めての人でも、
居心地が悪く感じる雰囲気だったそうです。
それだけ、集注した感が部屋を包んでいたのでしょう。
私にはまだ出せません^^;
集注した愉氣ならではの、副次効果だとは思います。
なので、変な緊張感はないのですが、
無駄口は叩いている隙はないし、黙っていて伝わるものがあったそうです。
お互いの信頼をもとにした氣が高まっているからこそできる
濃密な空間ができていたのだと思います。
まさに生命への礼がある状態です。
この状態であれば、技術力以上の効果が出せます。
だから、整体操法ではお互いの集注を削ぐ様な外部からの雑音、
例えばラジオやテレビ等をつけながらできるものではないのです。
集注というのは、健康な体ならしてしまうものだし、
集注していれば健康な体になってしまうのです。
簡単に言えば、腰が強い体は集注できますので、
集注しようと努力していると腰が強くなるのです。
腰が強くなれば、あらゆる抵抗力や持続力が伸びますので、
集注=腰の強さは、日々鍛えて行きたいものなのです。
お互いの集注が、操法の効果を左右する。
こう覚えておいて下さい。
また、こうした集注してしまう操法室を作り上げるのが、
厳しいながらも操法者の実力と言えます。
(つづく)
吉田直樹 拝