石川県立航空プラザの保存展示機(その2) | 青春の1ページ航空機等撮影記録~since2019 New Edition~

青春の1ページ航空機等撮影記録~since2019 New Edition~

今年もこれから暑い時期になる・・・

3連休の最終日、今日は午前中は伊丹、昼間は関空でそれぞれ撮影してきました。本日の撮影記録はまだ編集中ですので、先に昨日の続きで、石川県立航空プラザの保存展示機の紹介を進めていきます。

 

元・陸上自衛隊 Kawasaki OH-6J(31093)(1枚目は☆)

 

ヒューズOH-6は、アメリカのヒューズ・ヘリコプター社によって開発された単発エンジン・1軸ローターのヘリコプターで、1963年から1,220機が製造されました。胴体が卵型をしていることから、「フライングエッグ」の愛称があります。日本では川崎重工がライセンス生産を行い、日本向けの機種として「OH-6J」及び後継の「OH-6D」を含めて387機が生産されました。この機体は1978年にラインナンバー6397として製造後陸上自衛隊に納入され、主に観測用として運用されました。1994年に退役後、当プラザの開館時に搬入され、展示されています。なお、この「OH-6」を民間仕様にした機種が「369HS」となっており、こちらはエアバス・ヘリコプターで現在も「MD500」シリーズとして生産が継続されています。

 

元・航空自衛隊 Kawasaki T-33A(71-5321)

 

T-33は、アメリカ・ロッキード社が1948年から1959年まで製造した複座型ジェット練習機です。アメリカ空軍初のジェット戦闘機となったP-80をベースに開発され、約半世紀の間現役で運用されました。また、ベースとなったP-80と同じ「シューティング・スター」の愛称を持っています。日本では川崎航空機が1955年からライセンス生産を行い、210機が製造され、全機が航空自衛隊に納入されました(これとは別に、1954年の空自発足時に68機がアメリカより供与され、T-33は計278機が運用されました)。空自では発足当初から2000年までの長きにわたり運用され、本来業務の乗務員育成のみならず、訓練支援、連絡業務、デスクワークパイロットの規定飛行時間維持の為の年次飛行など幅広く使用されました。この機体は1957年に製造されたもので、入間・小牧・岐阜の各基地で訓練飛行等で運用されていたようです。1995年の当プラザ開館に合わせて搬入され、屋内展示されています。なお、搬入に当たって小松基地の第303飛行隊のマークが尾翼に入れられました。

 

元・航空自衛隊(那覇) Mitsubishi F-104J Starfighter(46-8539)

 

F-104は、ロッキード社が開発し、1954年から2,578機(ライセンス生産を含む)が製造された超音速ジェット戦闘機です。アメリカ空軍だけでなく、先進国を中心に世界15か国で2004年まで運用されました。日本でも「F-104J」として三菱重工によるライセンス生産が行われ、1961年から1968年までの間に178機(このほか、複座型の「F-104DJ」が20機)製造されました。全国各地の航空隊に配備・運用され、1987年までに全機が退役しました(一部は無人標的機UF-104J/DJに改修され、1997年まで運用)。この機体は1964年に製造され、百里基地の第207飛行隊で運用されました。後年、同飛行隊は那覇基地を拠点としたことから同機も那覇をベースで運用され、1986年の同隊閉隊に伴い運用を終了、しばらく基地内で保管の後1995年の当プラザ開館時に搬入され、屋内展示されています。

 

元・航空自衛隊(岐阜) Mitsubishi T-2(99-5163)

 

三菱T-2は、1971年に初飛行し、1988年までに96機製造された高等練習機で、日本で初めて開発された超音速航空機です。主に松島基地所属の第21・22飛行隊で運用され、ブルーインパルスの2代目機体としても使用されました。この機体は1979年に製造されたもの(通算63号機)で、松島基地の第21飛行隊で運用され、1986年に2代目ブルーインパルス用に改修され1995年まで使用後、晩年は岐阜基地に移動してブルーインパルス塗装のまま2002年頃まで練習機として使用されていました。退役後に当プラザに搬入の上屋内展示されています。なお、尾翼の6号機の表示と機体の搭乗者名は搬入後に追加で記入されました。

 

元・航空自衛隊(岐阜) Fuji T-3(11-5538)

 

富士T-3は、1978年から1982年までに50機が製造された初等練習機で、パイロット教育課程で隊員が最初に搭乗する機体として約30年にわたり運用されました。後継機であるT-7の登場に伴い、2007年までに全機が退役しました。なお、このT-3は空自最後のレシプロエンジン搭載機となっています(後継のT-7はターボプロップエンジンを採用)。この機体は1981年に製造されたもの(通算38号機)で、静浜基地の第11飛行教育団で練習用として運用されました。2007年2月に同基地での運用を終了後、岐阜基地の飛行開発実験団に移動し業務連絡用として使用されましたが、移動後間もない同年4月に運用を終え退役、その後当プラザに搬入され屋内展示されています。

 

菱和式 つばさW1-1(JR0467)

 

個人の方から寄贈された超軽量動力機(ウルトラライトプレーン)。一見すると人力プロペラ機のように見えますが、小型のエンジンを搭載しているので区別が可能です。運行に当たっては国土交通省への届出が必要なためレジ登録も行われています(ただし操縦に当たっての免許等は不要)。屋内スペースの天井に吊るされて展示されています。

 

人力飛行機「ゼフイルスβ(ベータ)」

 

女性による人力飛行機の飛行距離日本記録樹立を目指して、お茶の水女子大と早稲田大との合同チーム「お茶の水人力飛行機研究会」の手で製作された人力プロペラ機です。1997年11月16日に、海上自衛隊下総基地にて飛行距離1,004メートル、滞空時間3分3秒を記録し、女性パイロットによる人力飛行日本記録を大幅に塗り替えました。こちらも屋内スペースの天井から吊るされる形で展示されています。

 

ハンググライダー「ハリアー1989」

 

屋内展示のラストは、アメリカ、ウイルス・ウイング社製のハンググライダーです。こちらも個人の方から寄贈されたもので、翼に「デサント」のロゴが入っています。先に紹介した2機と同様、屋内スペースの天井から吊るされる形で展示されています。

 

元・海上自衛隊 Mitsubishi S-61(HSS-2B)(101-8101)

 

ここからの2機は屋外スペースに展示されている機体となります。シコルスキーS-61は、アメリカのシコルスキー・エアクラフト社が開発した、双発エンジン・1軸ローターの大型ヘリコプターで、1959年から119機が製造されました(ライセンス生産機は除く)。世界各地でライセンス生産が実施され、日本でも新三菱重工のライセンス生産により1964年から2003年まで167機が生産されました。この機体は1983年に製造され、海上自衛隊館山航空基地で運用されました。1995年7月に退役し、同プラザに搬入の上屋外展示されています。

 

元・海上自衛隊 Fuji KM-2(201-6288)

 

富士KM-2は、海上自衛隊の初級練習機として1962年から1980年までの間に64機が製造されました。海自のパイロットを目指す隊員が初めて搭乗する機体であり、先に紹介した空自のT-3と同様に、隊員の乗務訓練に長らく使用されました。後継機のT-5の登場に伴い1989年から退役が始まり、1998年に全機が退役しました。なお、このKM-2は海自最後のレシプロエンジン機でした。この機体は1981年に導入されたもので、1995年3月に退役となりました。退役後は当プラザに搬入されて、展示されています。当初は屋内で展示されていましたが、展示機体の増加と展示スペースの一部を遊具広場「ぶ~んぶんワールド」に改修するため、2012年頃に屋外に展示場所が変更されました。

 

※撮影は2023.7.22(ただし、「☆」は2023.7.29)