おはようございます。
本日6月4日は、天台宗を開かれた『伝教大師・最澄上人』の御命日とされています。
伝教大師最澄さまは、平安時代・弘仁13年6月4日・辰の刻(午前8時ごろ)比叡山・中道院において入滅されたと伝わります(6月5日との説もあり)
伝教大師最澄上人像・江戸時代
清瀧寺蔵
説法印の少し珍しいお姿だそうです。
紅白の輪袈裟は、白が願かけ、で赤がお礼参りと伝わります。
後の貞観8年7月12日、清和天皇より、最澄さまに『伝教大師(でんぎょうだいし)』弟子の円仁さまに『慈覚大師(じかくだいし)』の称号がおくられ、日本で最初のお大師さまとなりました。
伝教大師最澄上人お掛け軸
明治期・清瀧寺蔵
天台宗では、伝教大師最澄さまのご命日に『山家会(さんげえ)』という法要が行われます。
山家会の『山家』とは、中国天台において、天台宗の正統を山家と称していて、最澄さまは、中国において天台宗の正統を受け継がれたので『山家の大師』と称され『山家会』と呼ばれるようになったと言われています。
伝教大師・最澄上人が遺した教えのひとつに『忘己利他』という言葉があります。
忘己利他は、自分のことを後回しにして、他人の幸せのために尽くすという意味です。
最澄上人は亡くなる前、弟子たちに次のように語ったといいます。
我がために仏を作ることなかれ、
我がために経を写すことなかれ、
我が志を述べよ。
(伝述一心戒文より)
※現代語訳
私の亡くなった後、
私を供養するために仏像を作らないでほしい、
私の供養のために経典の書写をしないでほしい、
私の志を実践し伝えてほしい。
我がために経を写すことなかれ、
我が志を述べよ。
(伝述一心戒文より)
※現代語訳
私の亡くなった後、
私を供養するために仏像を作らないでほしい、
私の供養のために経典の書写をしないでほしい、
私の志を実践し伝えてほしい。
最澄上人は亡くなられた後も、自分の供養より、他の多くの方々の幸せを願われたのだと思います。
合掌。