「祖国と青年」1月号、今月の主張 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 「祖国と青年」1月号の巻頭言は、「国民の幸せを祈る宮中祭祀」と題して、大葉勢清英さんが書かれていますので、以下、ご紹介します。

 


  宮中祭祀は「皇室の私的な行事」か

 

 十二月一日の皇室会議、十二月八日の閣議を経て、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行期日が決まった。すなわち、天皇陛下のご譲位は平成三十一年四月三十日に、皇太子殿下のご即位は翌五月一日に行われることになった。


 ご譲位の日程については、他に一月一日、四月一日などの案もあったが、諸般の事情を勘案し、最終的に四月三十日に落ち着いた。ところが、このご譲位の日程について、朝日新聞は十一月二十五日付の社説で、自社の世論調査で改元の時期を「一月一日」とするのに賛成が七〇%、「年度初めの四月一日」が一六%であったとして、次のように異を唱えた。


「朝日新聞の社説は『優先すべきは市民の生活』との観点から、『あえて世論に反する措置をとる必要はない』と主張してきた。だが、宮内庁が難色を示した。年末年始の儀式や宮中祭祀が立て込み、一九年一月七日には昭和天皇が亡くなって三十年の式年祭もあるという理由だ」「国民のことよりも、皇室の私的な行事や政治の都合が優先されている感は否めない」


 特に宮中祭祀を「皇室の私的な行事」とし、「国民」と切り離していることに強い憤りを覚えざるを得ない。新年を迎える国家国民のために捧げられる皇室の無私の祈りが、どうして「皇室の私的な行事」なのか。


 渡邉允元侍従長は、宮中祭祀について次のように述べている。


「正月の四方拝から始まって、通常の一年の祭祀、歴代天皇の式年祭、毎月一日の旬祭などがあります。それぞれのときにお祈りになるのは、国が平らかであるように、人々が幸せであるようにという、国家のため国民のためのお祈りです。商売が繁盛しますようにといった、我々の神様仏様に対するお祈りとは全く違います。今は、憲法などの関係で、陛下のお祈りは私的になさっていることになっており、法律的な説明はそれで仕様がないとは思いますが、しかし、まさにそういう国民の幸せを念じておられる具体的な、絶え間なく現れている形というものが、宮中祭祀ではないかと思います」(「祖国と青年」平成十六年一月号)

 

 年の初めの四方拝・歳旦祭

 

 陛下が毎年元旦になされる「四方拝」「歳旦祭」は、次のようなお祭りである。


 四方拝は、まだ明け初めぬ午前五時三十分、神嘉殿の前庭で執り行われる。黄櫨染御袍をお召しになった陛下が、御拝座において、伊勢の神宮に向かって御拝礼になり、続いて山稜及び四方の神々を拝される。(ただし、陛下ご高齢のため、平成二十四年以降は御所で行われている。)


 四方拝は、天変地異の大災害が続いた平安時代を背景に、宇多天皇の寛平二年(八九〇)から元旦恒例の儀式とされたが、四方拝の際に唱えられる祈りのお言葉を記した当時の儀式書の記述を現代語訳にすると次のようになるという(『日本の万世一系と世界の王室』)。


「盗賊の災いが国民に降りかからずわが身を通過しますように。毒の災いが国民に降りかからずわが身を通過しますように。五つの陥りやすい危険や君臣・親子の対立など六害は国民に降りかからずわが身を通過しますように。あらゆる病を癒し、私の欲していること悩んでいることを、早く実現してほしい」


 国民にふりかかる災いを一身に引き受けてでも、国民が幸せであってほしいとの親が子を思うような祈りから新年が始まることに、皇室の伝統の深さと有難さが思われてならない。


 四方拝に続く「歳旦祭」は、午前五時四十分頃、宮中三殿で行われ、陛下は、天照大神を奉斎する「賢所」、歴代天皇及び皇族を奉斎する「皇霊殿」、天神地祇を奉斎する「神殿」を順にご拝礼になり、続いて黄丹袍を召された皇太子殿下がご拝礼になる。(ただし、陛下ご高齢のため、平成二十四年以降は陛下のお出ましはなく、掌典次長によるご代拝。)


 陛下は平成十七年、「歳旦祭」について次のようにお詠みになっている。


 明け初むる賢所の庭の面は雪積む中にかがり火赤し


 ときに庭に雪が積もる厳しい寒さの中でも、陛下が、毎年元旦の未明から国家国民の安寧を願う祈りを捧げられていることを、全ての国民は銘記すべきである。


 また、陛下は平成六年、新たな年に向かわれる御心を次のようにお詠みになっている。


 波立たぬ世を願ひつつ新しき年の始めを迎へ祝はむ


 一方、皇后陛下は、四方拝、歳旦祭には、御所でお慎みになる。御所の玄関で陛下のお出ましをお見送りになった後、陛下のご拝礼の時刻に合わせ、御所から賢所を遥拝される。


 皇后陛下は平成十九年、歳旦祭について次のようにお詠みになっている。

 
 年ごとに月の在りどを確かむる歳旦祭に君を送りて


 お慎みになるのは皇族方も同じである。かつて高松宮殿下は、「私は、妃殿下と一緒に五時前に起きて、潔斎をし、居間に入って窓や戸を全て開けて外気が入るようにして、宮内庁からお上がお祭りをお終えになったという連絡が電話で入るまでひたすら身を慎んで待っています」と語られたという(加瀬英明「皇室と日本文化」「祖国と青年」二十年四月号)。


 国家国民のために祈りを捧げられる陛下とひたすら身を慎まれる皇族方を思えば、「皇室の私的な行事」という言葉がいかに軽薄なものであるか、自ずと知れよう。


 平成の御代三十年を迎えた本年、両陛下への感謝の誠を表し、皇室の祈りの尊さを多くの国民に伝えていきたい。