熊本地震の政府対応 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 今日、熊本地震から一周年を迎えました。

 

 報道によれば、3月末現在、4万7725人の方々が県内外の仮設住宅などで避難を続けていらっしゃいます。また、地震による直接死は50人で、熊本、大分両県の震災関連死170人と地震後の豪雨災害の死者を含めると犠牲者は225人に上るとのことです。

 

 犠牲者のご冥福と、避難生活を続けている方々の安寧をお祈り致します。

 

 

 さて、「祖国と青年」4月号では、緊急事態の問題に関する浜谷英博先生のご講演録を掲載しています。災害への政府対応として、熊本地震はどうだったのかという点について浜谷先生が言及されている箇所がありますので、以下、ご紹介します。

 

 

(問)熊本地震への対応は、東日本大震災と比べてどのような点が前進したのでしょうか。また、熊本地震ではなぜ緊急事態宣言が出されなかったのでしょうか。

 

(答)熊本地震の政府対応は、過去の経験が生かされている部分と、生かされていない部分の両方があります。


 例えば、緊急物資については、マスメディアが報道した場所や集積場所には大量に来るのですが、そこから先、本当に物資を必要としている避難所にはなかなか届きませんでした。その理由はいろいろ考えられますが、従来の震災時の仕分け作業のほとんどはボランティアがやっていて、その分野の専門家知識を持った方もいるのですが、今回は規模の大きな余震が長期間続いたために、なかなか被災現地に入れなかったのです。こういう場合にどうするかは、まさに今後の課題です。それから先に説明した「プッシュ型」の支援が有効に機能したのはこの熊本地震からで、これは非常に効果的でした。


 もう一つの私の懸念は、高齢者、入院患者、介護が必要な方など、いわゆる災害弱者に対しては、従来から介護する人を現場に送り込もうとしてきたわけですが、今回のように被災現地が余震で揺れている場合などには、二次災害を防ぐ意味でも、介護が必要な人を設備が整った場所に搬送するという発想も必要ではないかと思います。当時は、熊本と大分が揺れていたわけですから、揺れの少なかった福岡や鹿児島にヘリコプターなどを使って搬送するなど、検討する余地があると思います。


 それから、自衛隊の派遣については、災害派遣の要請も発災後七十分余りと非常に速やかで、全体的にはうまくいきました。最初、自衛隊は二千人規模での災害派遣を考えていました。要請を受けたのが夜でしたので、被害の全体状況が見えなかったのです。夜が明けて被害状況が分かると、二千人から一気に一万五千人体制を敷きました。そして同時に、その翌日からは二万五千人体制で臨むということまで、そこで決めました。


 東日本大震災の時は、こうではありませんでした。官邸は発災時に二万人体制を組みますが、全く足りず五万人に増やし、その後十万人にまで拡大して最終的には十万七千人にまで増強しました。こういう逐次投入は、あまり効果的ではありません。一気に最大限の規模の人員を投入して、必要のなくなったところから引き揚げる方が合理的です。その教訓が、熊本地震で生かされました。


 熊本地震でなぜ緊急事態宣言が出されなかったのかについては、震災の規模と影響のレベルによる、ということではないかと思います。大臣級ではなく、総理大臣が対策本部長でなければ間に合わないというレベルであれば、宣言を出していたと思います。ただ、ここのところは非常に難しい判断で、やはり出すべきだったのか、出さなくてよかったかについては、今後十分議論すべき課題だと思います。