迷走する沖縄の翁長知事 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 「祖国と青年」2月号では、沖縄の上野竜太朗さんが現在の翁長知事の迷走ぶりについて書いていらっしゃいますが、中でも顕著なのが北部訓練場の返還をめぐる対応です。

 

 以下、上野さんの記事から一部紹介します。

 

 

 翁長知事が進める「非現実的な基地負担軽減策」はここにきて歪みが生じている。米軍の北部訓練場返還の条件とされた高江へのヘリパッド建設で、それが顕著なものとなった。


  沖縄本島の北部にある「北部訓練場」は約七五〇〇ヘクタールの土地を有している。この北部訓練場が、昨年の十二月二十日、日本側に返還された。返還された面積は、約四〇〇〇ヘクタールと北部訓練場の半分以上の広さであり、沖縄県にある米軍専用施設の約二割に当たる。昭和四十七年の祖国復帰後では最大面積の返還となった。


 この北部訓練場返還の条件となっていたのが、ヘリパッドの移設であった。七カ所のヘリパッドが返還される代わりに、返還されない訓練場内に六カ所のヘリパッドを建設するのである。こちらも辺野古同様、元々ある米軍の敷地内に、新たな施設をつくるだけの話だ。日米合同の返還式には、地元東村の伊集盛久村長も出席したが、これほどの面積が返還されるのにも関わらず、翁長知事は返還式には出席せず、基地反対派が主催する集会に顔を出した。


 当初、翁長知事は返還を「歓迎する」としていたが、この発言がマスコミに叩かれすぐに撤回した。この時、北部訓練場の代替施設として高江に建設するヘリパッドの反対運動が過激化し、逮捕者まで出ていた。翁長知事は歓迎発言から一転して、高江ヘリパッドを使用するオスプレイの危険性を盛んに喧伝するようになった。問題を「高江ヘリパッド建設」から「オスプレイ」にすり替えて、反対派への機嫌取りを行った。挙げ句の果てには「(北部訓練場の返還は)ゆがんだ返還であり、多くの県民の思いが踏みにじられ、政府への強い不信感をもたらす」として返還式典の中止まで求める始末だった。

 
 結局、容認も反対も表明せずに「オスプレイ反対」に逃げた翁長知事であるが、移設を容認して基地負担の軽減を望む県民と、基地反対派を両方裏切る形となった。このような知事に、いつまでも沖縄県の舵取りを任せて良いはずがない。