『昭憲皇太后実録』 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 今日、明治神宮で行われた「明治天皇の皇后とその時代―『昭憲皇太后実録』を読み解く」という研究会に行ってきました。


 『昭憲皇太后実録』というのは、宮内庁が編纂した昭憲皇太后の正式な記録と言ってよいものです。この実録自体は昭和41年に完成していたのですが、宮内庁に保管されて人目に触れることはなかったものです。それを、昭憲皇太后100年祭に際して、明治神宮が発刊したのです(扱いは吉川弘文館)。


 全3巻セットで45000円ですから、研究者とかでなければおいそれと買えるものではありませんが、史料的には非常に価値あるものです。


 これまで、『明治天皇実録』はあっても、『昭憲皇太后実録』はなかったのですね。


 今日の研究会は、その『昭憲皇太后実録』について、4人の研究者から発表があったのですが、私のような素人にもいろいろと興味深い話が多々ありました。


 昭憲皇太后はなぜ「皇后」ではなく、「皇太后」なのか。

 昭憲皇太后のお生まれは、なぜ「嘉永2年」とするものと「嘉永3年」とするものがあるのか。

 昭憲皇太后は4月9日におかくれになったのに、なぜ「4月11日崩御」なのか。


 ここで詳しく述べることはできませんが、当時の文化的背景や、記録の読み方などを説明していただき、「なるほど!」ととても勉強になりました。


 一言だけ、これは私たちも心がけておくとよいことですが、学者の中にも「昭憲皇后」などと言う人がいるそうですが、それは大間違いなので、必ず「昭憲皇太后」と申し上げるようにしてください、とのことでした。