両陛下、祈りの二重唱 | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

   歌会始御題「岸」


 天皇陛下御製


 津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる

 

 皇后陛下御歌


 帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず

 



 この今年の歌会始の御製・御歌について、「祖国と青年」でも度々登場されている竹本忠雄先生が、今朝の産経新聞で大変素晴らしいご文章を書かれていました。


 竹本先生は、「昨年一月に「岸」のお題が発表された二カ月後には東日本大震災が起こり、知る人は驚愕した」「そして今年の歌会始でのお作品を拝するや、まさに畏怖の念に打たれた」と述べられ、「時」-「季」をキーワードに、この御製・御歌の「二重奏」としての姿形を浮かび上がらせます。


 御製・御歌ともに、東日本大震災についてお詠みになった大変重い御歌でしたが、竹本先生のご文章を読んで、心に沁み通るような気持ちになりました。


 以下、ご文章の前半部分をご紹介します。



 そのかみ、「日知(ひじり)」と呼ばれた天皇は、いまなお、諸人には見えない「日」-時を見ておられるのであろうか。


 かねて、宮中歌会始のお題と出来事の間には、曰く云(い)いがたい暗合があるように私は感じてきた。その最も劇的な一つは、平成十八年一月、「笑み」のお題のときだった。同年九月六日、悠仁親王のご誕生となって日本国中が歓喜した。昨年一月に「岸」のお題が発表された二カ月後には東日本大震災が起こり、知る人は驚愕(きょうがく)した。


 これは両陛下の和歌にどのように反映されるであろうかと、半ば戦(おのの)く気持ちで私はご発表を待ちうけてきた。そして今年の歌会始でのお作品を拝するや、まさに畏怖の念に打たれたのである。


 御製(ぎょせい)は、釜石から宮古にかけて上空からご視察の折のご感懐と伝えられる。が、津波来襲の時をも知らぬげに青々と静まりかえった海の大観であるゆえに、かえって恐ろしいものを感じさせられる。かの「時」はどこへ行ったのか。この問いを明らかに美智子さまは受けついで《季(とき)のなく》と仰っている。「季」とは、一見、難解だが、下の句に「歳時記」とあることから、季節、季語のように「分かつ時」を表しているかと解釈される。さらわれた近親者を岸辺に立って待ち続ける人に四時を分かつ時はない。いや、そもそも歳時記に「岸」という文字さえないではないか-。


 かねて私は、両陛下の「二重唱」とひそかにお呼び申しあげてきている。歌会始でのご発表以外のお作品まで加えれば、優に三十組を超えるであろう。しかし、どのように主題が変わっても、お二方のご詠歌は常に変わらぬ中心軸を共有し、それをめぐる両輪の回転から透明光が放射されつづける。このたびは、「時」-「季」が、回転を進める両輪の車軸をなしたものと拝される。