「尖閣諸島開拓の日」活動報告(2) | 月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

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青木聖子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介したり、日々考えたことを綴ったりします!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

 沖縄からは、早くも桜の開花の便りが届いています。

 ヒカンザクラ(緋寒桜)が、本部半島の八重岳頂上付近でほころびはじめている、というニュースがやっていました。

 このヒカンザクラ、あたたかくなって、いったん寒くなると咲き始めるそうです。だから、沖縄本島では桜前線は北上するのではなくて、寒いところから南に下っていくんですって。

 今の両陛下が、昭和51年に沖縄をご訪問になって「今帰仁(なきじん)の桜」をご覧になったのも1月17、18日のことでした。

 今年の見頃は23日の週、ということでしたから、今年はちょっと遅れてるのかな。


 ――さて、今日の「尖閣諸島開拓の日」活動報告は、石垣に行っていた大葉勢さんと、宮崎の黒木さんからです!


【石垣】徳松先生を講師に招き青年の集いを開催
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 石垣において「尖閣諸島開拓の日」をできるだけアピールしたいと思った私は、地元の青年とともに2000枚のチラシ配りを行うとともに、1月14日当日の式典の会場入り口で署名活動を行いました。
 前後に取材などもあり、余り時間はとれませんでしたが、24名の署名を頂きました。

 また、新たな友との出会いを求め、翌日の15日に市内で「尖閣諸島の歴史と今を考える青年の集い」を開催しました。
 これに先立つ11日、平成11年の祖青に「侵略される尖閣列島」を連載された徳松信男先生を訪ね、御協力をお願いしたところ、当日の講話をお引き受け頂くとともに八重山防衛協会の三木厳会長と一緒に会場を探して頂きました。
 さらに徳松先生より、地元紙の八重山日報・八重山毎日に行事案内ができるコーナーがあり、1200字ほど書けるから投書してみてはとの助言をいただき、13日朝に投書したところ、日報は14日に、毎日は15日に掲載してくれたのです。
 15日当日は、JCの30代の青年を含む13名が集い、日報の編集長や毎日の記者も取材してくれました。

 徳松先生には、尖閣諸島の日本領有の根拠と中国の領有主張への反論を具さにお話し頂き、参加者からは、「今日先生にお話頂いたような資料を使って政府がはっきりと主張すれば、皆納得しますよ」と意を強くした感想などが語られました。
 その後、尖閣問題の解決に向けて全員で率直な意見交換を行いました。
 地元の新聞掲載を通じて「尖閣諸島開拓の日」を伝えることができたこと、また、少数ながらも尖閣諸島を思う心ある地元の方々との交流の場ができたことは意義深いことでした。
 今回出会った方々との縁を大切にし、石垣・本土から尖閣諸島を守る機運を高めていきたく思います。[大葉勢]



【宮崎】◆ネットからの仲間も加わって142署名

 去る1月14日(土)(「尖閣諸島開拓の日」)、全国統一街頭署名活動が各県で実施され、宮崎でも13時~15時までの2時間、日本会議宮崎のメンバー等、8名で行ひました。
 宮崎でこの問題に関する街頭署名活動は、一昨年から数えて7回目となりました。
 2時間で142名の署名が集まり、貴重な活動だったと思ひます。
 署名数142名は、決して多い数ではないのですが、寒い中、また、尖閣問題が風化しつつある現状を思ふと、頑張った数ではないかと思ひます。
 中高生など、若い人達の反応が特に良かった印象を持ちました。

 参加メンバーは、吉田先生、永野氏、黒木雅、和田氏、黒木和、井戸氏(宮大卒業生。
偶然、仕事の関係で街に出て来たらしく、奮闘中の我々に気づき、少しの時間、手伝ってくれました)。
 そして、今回、署名活動初参加の2名が加わり、計8名での活動となりました。
 この2名は、ネット情報で今回の尖閣街頭署名活動を知り、日本会議宮崎事務所に電話してくれ、和田氏の案内により、今回の参加となりました。
 2名のうち、一人は大学一年生で、街頭に立つのは初めてといふことでしたが、マイクを握り、思いを一所懸命語ってくれました。

 街頭活動後、初参加の2名を含む数人でお茶を飲みながら、日本会議の活動について等、様々な情報交換が出来、今後も協力して活動していこうといふ話しになりました。
 ネット仲間の2名は、「今はネットを十分活用すべきです。意識レベルの差はあれ、かなりの人が協力するはずです」と熱く語られました。(黒木)