「乗り役時代に380勝を上げていた先生」が、シルクロードSで… | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

全国の競馬ファンの皆さん、こんにちは。

小西聖一と申します。



去年、デビュー2戦目だった3歳未勝利、3歳1勝クラス、地方交流重賞の兵庫CSと、ダートで3連勝していた、高木登厩舎のバーナードループ(牡4歳・父ロードカナロア)は、次走の予定が2月6日(土)のアルデバランS(中京・ダート1900m)になっています。

この馬を管理している高木先生は、お祖父さんが馬主さんという、競馬が身近な環境で育っていて、麻布獣医大学(現在の麻布大学)まで馬術を続けた後、1988年に競馬学校の厩務員課程に入って、その後は、一昨年の2月に定年で引退した伊藤正徳先生の厩舎で厩務員をやって、それからは、山崎彰義さんの厩舎と加藤征弘先生の厩舎と浅野洋一郎先生の厩舎で調教助手をやっていたんですよ。

2006年、調教師の試験に受かった高木先生は、次の年に自分の厩舎を開業して、初めの年こそ、レースに使った頭数が少なかったので「5勝・獲得賞金1億1252万円」という成績でしたが、その後は、2年目に15勝、3年目に17勝と、順調に数字を伸ばしていましたし、2014年は、マイネルフロストを使った毎日杯で初めて重賞を勝つと、その後も、ウインマーレライを使ったラジオNIKKEI賞と、スノードラゴンを使ったスプリンターズSを勝つなど、17勝を上げて、「5億4643万円」の賞金を稼いでいました。

それに、その後の5年間も、

2015年→23勝・獲得賞金4億3545万円
2016年→20勝・獲得賞金4億4114万円
2017年→30勝・獲得賞金4億8852万円
2018年→27勝・獲得賞金5億3874万円
2019年→28勝・獲得賞金5億9607万円

という成績を残していて、特に一昨年は、アナザートゥルースでアンタレスSを勝つなど、今までで一番多い賞金を稼いでいたんですよ。

でも、去年は、アナザートゥルースを使ったダイオライト記念、バーナードループを使った兵庫CSと、地方交流重賞を2勝しましたけど、JRAでの成績は「21勝・獲得賞金3億4968万円」と、前の年を大きく下回っていましたから、今年の高木先生は、「必ず巻き返したい」と考えている筈です。

そこで、1着賞金が2200万円のアルデバランSに向けて、バーナードループをどう仕上げてくるのか、キッチリ確認して馬券に活かしたいと思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、

5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属

といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そしてここからは、栗東の飯田祐史厩舎がシルクロードSに登録しているエイティーンガールについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のTさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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飯田祐史君は、2014年まで調教師をやっとって、2017年に亡くなった飯田明弘さんの長男で、明弘さんは、2013年のオークス、秋華賞、エリザベス女王杯、フィリーズレビューと、重賞を4つ勝ったメイショウマンボとか、2000年の産経大阪杯と2001年の鳴尾記念を勝ったメイショウオウドウとかを育てて、JRAで重賞を11勝、通算で371勝を上げとりました。

祐史君は、1990年に競馬学校の騎手課程に入って、1993年に親父さんの厩舎からデビューしとって、その年に19勝を上げて、関西新人騎手賞をもらっとったんや。

その後も彼は、順調に成績を伸ばしとって、1999年には、夏の小倉リーディングになるなど、キャリアの中で一番の42勝を上げとったし、次の年には、親父さんの管理馬メイショウオウドウに乗った産経大阪杯で初めて重賞を勝っとって、調教師の試験に受かって引退した2013年の2月までに、重賞を4勝、通算で380勝を上げとりました。

そんで2013年の3月からは、明弘さんの厩舎で技術調教師をやって経験を積んで、2014年の3月に、病気で引退した明弘さんの厩舎を引き継ぐ形で自分の厩舎を開業したんですわ。

開業してからの祐史君の厩舎は、

2014年→7勝・獲得賞金1億8026万円
2015年→6勝・獲得賞金1億3697万円
2016年→17勝・獲得賞金2億3665万円
2017年→18勝・獲得賞金2億8309万円
2018年→18勝・獲得賞金2億8416万円
2019年→22勝・獲得賞金3億9590万円

と書けば分かる通りで、順調に成績を伸ばしとって、一昨年は、メイショウダッサイを使った小倉サマージャンプで初めての重賞勝ちを飾っとりました。

そして去年は、エイティーンガールを使ったキーンランドCで、平地では初めての重賞勝ちを飾っとったし、暮れには中山大障害をメイショウダッサイで勝つなど、全部で18勝を上げて、賞金は今までで一番の「4億3884万円」を稼いどったんですわ。

もちろん、今年の飯田君は、「この勢いで、早い内から賞金の高いレースをたくさん勝ちたい」と考えとるんでしょうな。

こういった中、今週は、1着賞金が3900万円のシルクロードSにエイティーンガールを登録してきましたんで、メイチに仕上げてくるとワシは見とります。

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飯田祐史厩舎がシルクロードSに登録しているエイティーンガールについて、「元調教師のTさん」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんのブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。