「オルフェーヴルの調教を付けていた先生」が、新潟記念で… | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

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全国の競馬ファンの皆さん、こんばんは。

小西聖一と申します。



今日は、デビューが近い2歳馬の中から、私が注目している一頭を紹介しておきますね。

それは、木村哲也厩舎のジュリオ(牡・父リオンディーズ、母ヒストリックレディ)です。

この馬は、1993年に桜花賞とオークスを勝ったベガが3代母で、2013年の桜花賞を勝っているハープスターが叔母という血統なんですよ。

ジュリオは、4月8日(水)に早々とゲート試験に合格して、その後はノーザンファーム天栄(福島県岩瀬郡天栄村)で調整されていましたが、歩様が乱れてしまい、その後は時間をかけて慎重に乗り込まれてきました。

結局、美浦に戻ってこられたのは8月12日(水)と、だいぶ遅くなってしまいましたけど、先週の水曜日、8月26日には、南ウッドで6Fが86秒8、終いの1Fが13秒7という時計を出していたそうです。

馬なりでしたから、時計は目立つものではなかったんですが、スムーズな脚捌きで走れていたそうですから、ここまでは順調なのでしょう。

この馬を管理している木村先生は、家族や親戚に関係者がいた訳ではなく、お父さんがサラリーマンだったので、元々、競馬の世界に進むつもりはなくて、神奈川大学の工学部建築学科を出ていますし、馬に乗った経験も全くなかったそうですね。

でも、急に馬と関わる仕事がしたくなって、一人で北海道に行って牧場で働いて、その後は、アイルランドに行って馬のことを学んでいたんですよ。

2000年の4月に競馬学校の厩務員課程に入った木村先生は、その年の10月から、1980年の中山記念を勝ったヨシノスキーや、1985年のクイーンSを勝ったアサクサスケールなどを育てた、佐藤征助さんの厩舎で厩務員をやって、次の年の5月からは、高橋裕(ゆたか)厩舎で調教助手をやっていました。

その後は、勢司和浩厩舎と中川公成(ただしげ)厩舎で調教助手をやって、2011年に調教師の試験に受かって、その年の6月に自分の厩舎を開業していて、2015年に、アルビアーノを使ったフラワーCで初めての重賞勝ちを飾ると、一昨年は、ステルヴィオを使ったマイルCSで初めてのGI勝ちを飾っていますし、これを含めて、厩舎を開業してから先週までに、JRAで重賞を11勝しています。

ちなみに、この重賞11勝の内、6勝が3歳のレースで上げたものですから、若駒の仕上げを得意にしていることがよく分かりますね。

ジュリオは、9月13日(日)の中山5Rに組まれている、芝1600mの新馬戦でデビューする予定ですから、それまでに先生がこの馬をどう仕上げてくるのか、注目したいと思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、

5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属


といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、吉村圭司厩舎が新潟記念に使うアイスストームとインビジブルレイズについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のIさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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吉村圭司君は、熊本の荒尾競馬(2011年に廃止)で40年以上も調教師をやっとって、2000年に引退するまで、1310勝を上げとった吉村務さんの息子ですな。

小さい頃から競馬が身近やった吉村君は、早くからこの道に進もうと決めとったそうで、中学を卒業する時には、JRA競馬学校の騎手課程に受かっとりましたけど、体が大きくなって、減量が厳しいっちゅうことで、入学を辞退したんですわ。

競馬学校に入る直前の辞退やったから、すぐ高校には入れんで、一年間は荒尾で持ち乗りの仕事をしとったそうやけど、その後は、荒尾市にある定時制の学校に入って、卒業してからは、ビービーガルダンとかでお馴染みの「坂東牧場」(北海道沙流郡日高町)で、一年半ぐらい働いとったんや。

その頃の「坂東牧場」は、1995年のチューリップ賞を勝ったユウキビバーチェや、1997年の高松宮杯を勝ったシンコウキングとかが、放牧のために使っとりましたな。

そんで吉村君は、1996年の1月に競馬学校の厩務員課程に入って、その年の7月からは飯田明弘厩舎で厩務員をやって、12月から調教助手をやって、それから7年間、飯田厩舎で経験を積んで、2004年の3月に、開業したばっかりやった池江泰寿君の厩舎に移ったんですわ。

吉村君は、池江厩舎で調教助手をやっとった頃に、ドリームジャーニーやオルフェーヴルとか、走る馬の調教を付けとったんで、彼にとって、ホンマにエエ経験になったんでしょうな。

で、2011年に調教師の試験に受かった吉村君は、次の年に自分の厩舎を開業しとって、その年は、池江君から引き継いだポップアイコンで初勝利を上げるなど、「9勝・獲得賞金1億4998万円」っちゅう成績を残しとりましたし、それからも、

2013年→13勝・獲得賞金2億0829万円
2014年→27勝・獲得賞金3億9056万円
2015年→20勝・獲得賞金4億4595万円
2016年→27勝・獲得賞金5億3006万円

っちゅう形で順調に数字を伸ばしとって、特に2016年は、クイーンズリングを使ったエリザベス女王杯で初めてGIを勝って、今までで一番の賞金を稼いどったんや。

けど、去年までの3年間は、

2017年→19勝・獲得賞金4億8823万円
2018年→28勝・獲得賞金4億8696万円
2019年→22勝・獲得賞金4億1938万円

っちゅう形で賞金が伸び悩んどりましたな。

それに、今年は先週までが「13勝・獲得賞金2億5758万円」と、去年の同じ時期(9月1日まで)の「17勝・獲得賞金2億6425万円」を下回っとるんやから、今の吉村君は、「キッチリ巻き返さなアカン」と考えとる筈ですわ。

そんな中、今週は、1着賞金が4100万円の新潟記念にアイスストームとインビジブルレイズを使いますんで、ここは「勝負懸かり」とワシは見とります。

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吉村圭司厩舎が新潟記念に使うアイスストームとインビジブルレイズについて、「元調教師のIさん」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんのブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

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では、また次回。

小西聖一でした。