新潟記念は、「松田国英厩舎などで学んだ先生の管理馬」から目が離せません | 小西聖一(元調教助手・元厩務員)のブログ

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調教助手として、厩務員として、競馬と長く関わってきた私が、ファンの皆様に「役立つ情報」をお伝えしたいと思って始めました。

全国の競馬ファンの皆さん、こんばんは。
小西聖一と申します。



前走、7月11日(土)の猪苗代特別は4着でしたけど、前々走、6月20日(土)の東京7Rに組まれていた芝2000mの3歳上1勝クラスと、3走前、去年の12月7日(土)、中山3Rに組まれていた芝1800mの未勝利戦を勝っていた、武井亮厩舎のデジマノハナ(牝3歳・父スクリーンヒーロー)は、次走の予定が9月12日(土)の紫苑Sです。

この馬を管理している武井先生は、駿台甲府高校(山梨県甲府市)を卒業した後、1浪してから、北海道大学(札幌市北区)の獣医学部に入学していて、大学では馬術部に入っていました。

ちなみに、4年生の時、先生は馬術部で副将をやっていて、その時の主将は、栗東で厩舎を構えている寺島良先生です。

大学を卒業した後は、「ノーザンファーム空港」(北海道苫小牧市)で騎乗従業員をやって、2007年の7月に競馬学校の厩務員課程に入って、2008年の1月から、1998年のジャパンCを勝ったエルコンドルパサーなどでお馴染みの二ノ宮敬宇(よしたか)厩舎で厩務員をやって、その後は、2016年のチャンピオンズCを勝ったサウンドトゥルーなどでお馴染みの高木登厩舎と、2006年の新潟記念を勝ったトップガンジョーなどでお馴染みだった、去年の2月に定年で引退した和田正道先生の厩舎で調教助手をやっていたんですよ。

2013年、調教師の試験に受かった武井先生は、2014年の3月に自分の厩舎を開業してから去年まで、

2014年→13勝・獲得賞金1億6827万円
2015年→20勝・獲得賞金2億2875万円
2016年→20勝・獲得賞金2億8173万円
2017年→21勝・獲得賞金3億2646万円
2018年→22勝・獲得賞金4億1224万円

と、順調に数字を伸ばしていましたし、特に一昨年は、今までで一番の賞金を稼いでいました。

ただ、去年は、今までで一番の28勝を上げましたけど、賞金は「3億8206万円」と、一昨年の数字を下回っていましたし、今年は先週までに稼いだ賞金が「1億7835万円」と、まだ一昨年の4割くらいしか稼げていませんから、今の武井先生は、「賞金の高いレースを勝って、巻き返しのきっかけにしたい」と考えているのでしょう。

そこで、1着賞金が3500万円の紫苑Sに向けて、武井先生がデジマノハナをどう仕上げてくるのかをキッチリ確認して、馬券に活かしたいと私は思っています。

ここからは、昨日までも書いていますけど、もっと皆さんに私のことを知ってもらえるよう、自分自身について、改めて詳しく書いておきますね。

私は、日本獣医畜産大学を卒業してから、中央競馬で調教助手と厩務員をやっていました。

昔の写真を載せておきますね。



馬の前に立っているのが私です。

競馬の世界で働くようになったきっかけは、父が騎手と調教師をやっていたからです。

私の父は小西喜蔵という名前で、長く競馬をやっている方でしたら、きっと知っていると思います。

何しろ父は、まず騎手として、セントライトで1941年の牡馬クラシック三冠を勝っていますし、調教師としても、1957年の菊花賞を勝ったラプソデーや、1961年の天皇賞・秋を勝ったタカマガハラや、1965年の有馬記念でシンザンの2着だったミハルカスなど、走る馬を何頭も育て上げていますからね。

その息子として生まれた私が競馬の世界に入ったのは、ごくごく当たり前のことでした。

私は、大学を卒業してから、すぐ父の厩舎に調教助手として入り、1989年の3月に父が定年で引退するまで、ずっと小西喜蔵厩舎にいました。

先ほど書いた通りで、父は、騎手と調教師として、私が大学を卒業するまでに、もう素晴らしい実績を残していましたから、その厩舎に私が入ってから、馬について父から教わったことは、とても役に立ちましたね。

私は、父が定年で引退した後も、

5年ほど、佐藤林次郎厩舎に厩務員として所属
3ヶ月ほど、高市圭二厩舎に厩務員として所属
4年ほど、嶋田功厩舎に厩務員として所属

といった形で厩舎の仕事を続けましたが、こうやって、ずっと馬に関わる仕事ができたのは、父から色々なことを教わっていたからなのでしょう。

そして今回は、栗東の友道康夫厩舎が新潟記念に登録しているポポカテペトルとブラヴァスについて、私の頼もしい仲間の一人、「元調教師のYさん」から届いた報告を紹介しておきますね。

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友道康夫君は、大阪府立大学の獣医学科を出とって、競馬学校の厩務員課程を出た1989年からは、浅見国一さんの厩舎で厩務員と調教助手を、1996年から調教師の試験に受かった2001年までは、松田国英君の厩舎で調教助手をやっとりましたな。

ちなみに、彼がこの世界に入ろうと決めたんは、大学で馬術部に入っとったように、元々、馬が好きやったし、学生の頃に、スペシャルウィーク(1998年のダービーなどGIを4勝)や、アグネスデジタル(2001年の天皇賞・秋などGIを6勝)とかを育てた白井寿昭さんが、1978年に調教師の試験に受かった時、スポーツ新聞の「競馬サークル出身者以外では、初めての大卒調教師」っちゅう記事を見て、「自分も調教師になりたい」と思ったことがきっかけなんですわ。

友道君が浅見さんの厩舎におった時には、重賞を3つ勝ったヤマニングローバルや、阪神3歳牝馬S(現在の阪神ジュベナイルF)を勝ったヤマニンパラダイスとかがおって、松田君の厩舎におった時には、ダートの重賞で活躍したゴールドティアラやブロードアピールとかがおったんやから、走る馬を間近で見るっちゅう、ホンマにエエ経験ができたんやろ。

2002年の11月に自分の厩舎を開業した友道君は、その年が3勝止まりやったけど、次の年は一気に19勝まで数字を伸ばしとりました。

しかも彼は、レースを多く勝つだけやなくて、ワンモアチャッターを使った2005年の朝日チャレンジCで初めて重賞を勝つと、アドマイヤジュピタを使った2008年の天皇賞・春で初めてGIを勝つなど、今までにJRAのGIを12回も勝って、これを入れて重賞を全部で43回も勝っとりますな。

2012年の友道君は、ヴィルシーナでクイーンCを勝つなど、「37勝・獲得賞金8億6631万円」っちゅう数字を残しとって、それから2015年までは2012年の成績を超えられなかったんやけど、去年までの4年間は、

2016年→38勝・獲得賞金13億3415万円
2017年→43勝・獲得賞金13億7646万円
2018年→43勝・獲得賞金14億9300万円
2019年→36勝・獲得賞金14億6996万円

と書けば分かる通りで、4年続けて10億円以上の賞金を稼いどったし、今年は先週までに32勝を上げて、リーディング1位の矢作芳人厩舎と8勝差の3位に付けとるんや。

せやけど、賞金は「6億8157万円」と、先週までに「12億8421万円」を稼いで1位の矢作厩舎に「6億1024万円」の差を付けられとるんやから、ワシが友道君やったら、「賞金の高いレースを多く勝たなアカン」と考えますわ。

そんな中、今週は、1着賞金が4100万円の新潟記念にポポカテペトルとブラヴァスを登録してきましたんで、どちらの馬も「勝負懸かり」とワシは見とります。

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友道康夫厩舎が新潟記念に登録しているポポカテペトルとブラヴァスについて、「元調教師のTさん」から届いた報告は以上です。

そうそう、昨日までのブログでも書いていることですが、今の私は、「パーフェクトホースマンズ」に所属していて、ここでは、ホームページとブログなどで、馬券に役立つ色々な情報を公開しています。

ですから、このブログを読んでいる皆様は、「パーフェクトホースマンズ」のホームページや、元JRA馬主の小栗範恭(おぐりのりやす)さんや、元JRA調教師の山田要一(やまだよういち)さんのブログも読むと、もっといいことがある筈ですよ。

★ パーフェクトホースマンズのHPはこちら ★

★ 元JRA馬主・小栗範恭のブログはこちら ★

★ 元JRA調教師・山田要一のブログはこちら ★

では、また次回。

小西聖一でした。