一輪挿しのBLUES -7ページ目

一輪挿しのBLUES

風流ならざるところ、また風流なり。

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只々静かなのでございます。
自他の区別もなく一切の気配も生命の息吹すら感じることのない宵闇は音も無く張り詰めた空気は静まり返っているのでございます。

持てる力の限りを尽くし全てをなげうち己の無力を痛いほど味わい辱めを甘んじて受け入れ、今迄積み上げてきた自信もプライドも音を立てて崩れ落ち行く様を直に感じますと、もはや自分も此処までかと全てを否定したくなるものでございます。

混沌回帰という言葉の如く、その存在を考えをやり方を、すべて否定し尽くしどん底に陥った時にこそ観えるもの感じることがあるような気が致します。
進むべき道であったり方向であったり人様の真心の温もりであったり考え方であったり本当に大切な存在であったりと様々ではございますが、いままでの自分では到底感じ得なかったものがはっきりと現れるもので其処からまた新たにはじまってゆくのでございます。

何も無い静まり返った闇の中でこそ心に響く音があるものでございます。




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人の心の移ろいは表と裏が絡み合いながら、時に複雑にまたある時には明確に変化を為すものでございます。
姿形が目に観えぬが故にその都度浮かんでは消えゆく様を感じる以外にその存在を知る術はございません。
昨日善く思えたことも日を追うごとに心変わりしてゆくなどということはごくごく当たり前なことではございますが何年経とうとも決して変わらず色褪せる事のない心の存在もありますものでいやはや人様の心中とは計り知れぬところがございます。

松は常緑樹ということもあり古今の差もなく鮮やかな翠色を保ち続ける姿から長寿の象徴や心の例えとして多く描かれてきたようでございます。

特別な想いや志とはそう簡単に色褪せるようなものではございません。
物事全てがうまく成就することはなかなか難しい世の中ではございますが最後の最後まで折れることのない強い心を養い守って行きたいと願うものでございます。



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とどまらぬ
隙行く駒の行く末に
法の道得る人ぞ少なき

遠き昔は鎌倉時代。
当時の方々の生活は誠に質素だったそうで、木造の家屋にて戸をしっかり締めていても数ミリの隙間が空いてしまう。そのような処で寝起きを繰り返していたそうにございます。
移動手段は徒歩。すこし高尚な身分、時代的には武士となりますが、こちら様方はと申しますと専ら馬などに乗り颯爽と長閑な路を行き来していたようでございます。
家の隙間より見えまするその横切る馬の姿を当時の方々は「隙行く駒」として現在で云うところの「あっという間」や「一瞬に」という時間の例えにしていたようでございます。

無常にして迅速に過ぎゆく時間の中で私共は何とか無駄なく卒なく暮らして行きたいと願うものでございますが、実際満足な日々を過ごせるというのは難しいほど色々な問題を抱えながら毎日に追われることが多く、気が付けば何も実らぬままに月日だけが過ぎてしまい、何が大切でなにが不要で何を優先したらいいのやら分別する間もなく次からつぎへと降りかかる出来事に振り回されてしまうのでございます。
そこを器用に切り抜けられる方も当然ながらいらっしゃることでしょう。
しかしながら、人の一生とは大方期限がついているもので、アレもコレもと手を出した結果何一つとして解決しないという事もあり全てをこなすことは困難でまた全てを抱え込む必要も無いような気が致します。
私のような怠け者の言い訳かもしれませんが、たったひとつの事でも己が出来ることに対してしっかり向き合い時間を費やしていくことで得られる充実感も味わい深きものがございます。





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